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命育てる森・白神山地
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 1万5千年前、氷河期が終わりを告げました。水楢、白樺、ブナなどの植物が一斉に冬の白神山地へ挑み始めます。
強い風、雪の重みで多くの枝が倒れます。生き残ったのはブナだけでした。

 ブナの力が森を作ったのです。ブナはしなやかさがあるので雪や風で折れることはありません。他の木々と違いブナは復元力が際立っています。雪の重みで撓んでいた若木も雪が消える頃、再び立ち上がります。

 こうして約8000年前、白神山地でブナが勝ち残り大きな森を作ったのです。

 白神山地は1000m程度の山並みが続く地域です。琵琶湖の広さに匹敵する広大さです。高すぎず、低すぎない、ちょうどブナの生育に適した標高であるが故に白神山地全域にブナが広がったのです。これだけ大規模なブナの純森は世界的に見ても例がありません。
     『冬』

 冷たい風が日本海を越えて吹きつけます。
雪と氷に閉ざされた森で、ブナの枝先には新しい命が宿されています。
凍りついた赤い蕾が厳寒をじっと耐え、春芽吹く準備を始めているのです。

 里の人々は山の入り口の滝を目指します。
滝の前に集まり山への祈りを捧げます。滝の水は田を潤す大切な水。
2月半ば、山が最も寒い時、穏やかな春の訪れと秋の稔りを祈るのです。
里の人々は山の奥に白い神が住むと信じています。

 命を支える白い森。
雪が、冬を生き抜く植物を守るのです。
氷点下15℃の風が吹いても植物は深い雪の下で春を待っています。
冬は森が目覚める力を蓄える大切な時間なのです。
     『春』

 3月半ばの、ある朝、突然、森全体が乾いた音に包まれます。
ブナの枝の氷が一斉に解け出したのです。目覚めたブナは芽に活発に水を送ります。森に降る氷の雨。森は音を立てて冬を脱ぎ捨てるのです。

 ブナから始まる白神の雪解け。森の力が春を引き寄せます。ブナの根元に黒い輪が現れます。暖かい春の陽射しがブナの森に注ぎ、雪の照り返しがブナの幹を温め、幹の周りの雪が解けて輪が出来るのです。


 雪解けの雪崩の音が森に響きます。
マタギ達は雪崩の音を【熊の寝返り】と言います。その音で熊撃ちの猟が始まるのです。熊は大きなブナの根元の洞で冬眠しています。マタギは太い幹の小穴に向かって『ホッ、ホッー』と声を掛ける。こうして熊を探して、ブナの森を歩き回ります。

 ブナの根元から始まった春は森全体へ広がって行きます。
四月の始め、梢が赤く染まるとブナの芽吹きです。森が、ブナが、冬に蓄えた力が一気にはじける時が来ました。

 ブナの芽吹きは雪解けの遅い山頂へ駆け足で登ります。里の人々は【峰走り】と呼びます。その速度は一日、10m。目覚めた緑が白神の山々を駆け上がって行きます。ブナの森の春です。

 フジミドリシジミの卵がブナの枝先に張りついています。

直径1mm程の小さな卵です。フジミドリシジミはブナの森だけに生息する蝶です。ミドリシジミの仲間では、最も高所に分布します。それは食樹がブナ、イヌブナのみであるからです。ブナの若葉が柔らかいうちに食べられるように、ブナの芽吹きに合わせて卵から出てきます。体長、約2mmの幼虫が、わき目もふらずブナの新芽に向かって行きます。9ヶ月間、卵で育った彼らは、ブナの若葉を食べ、蝶に変身する力を蓄えるのです。

 樹齢約300年のブナの老木にも春が来る。

ブナの寿命は400年余りと言われています。樹高20mほどの大人の木になるのに100年、広葉樹の中でもブナは非常にゆっくりと育つ木です。その後、幹を太らせ大きく枝を張る壮年期を迎えます。ブナは実を付けるまで60年から80年かかります。

 
ブナの花が咲く。
下に向かって咲く雄花の出す花粉は遠く離れた雌花へ風に乗って飛んで行きます。その花粉を真っ直ぐ上に立った雌花が受け取ります。

 淡い緑の森の中では次々と生き物が活動を始めます。
フジミドリシジミは2週間で2cmほどに成長しました。ブナの葉は芽吹きから一月で硬くなる。その一月の間に柔らかいブナの葉を食べて、蝶になるためのエネルギーを蓄えるのです。

 
日本最大の啄木鳥、クマゲラも姿を見せました。本州ではブナの森だけに住む鳥です。

 森のあちこちで水の音が聞こえます。
ブナが解かした雪解け水は栄養分をたっぷり含んでいます。ブナの森の水は、落ち葉が長い年月をかけて作った土の中を通って湧き出します。森の中に幾つも水溜りが出現しました。落ち葉の下で冬眠していた東北サンショウ魚が目覚めます。森の無数の生物が水溜りに集まる。森の力が水に溶け全ての生き物を育てるのです。

 ブナの森が蓄えていた雪は水に姿を変え森から溢れる。
田植えの季節、山の神は水と共に里に降りるのです。田植えを始める日は特別な日です。里の人々は水をとり入れる口に赤飯や魚を供え、秋の実りを祈ります。
     『夏』

 7月になると深い緑が白神を蓋います。
ブナが育つ夏がやって来ました。ブナは葉を広げ光を受け止めます。白神のブナの葉は太平洋側と較べ三倍の大きさに育ちます。水をたくさん必要とする大きな葉。

 
北国の短い夏、
ブナは枝をのばし、日をいっぱいに浴びて幹を太らすのです。夏に森が蓄える力で生き物も育ちます。

 森に降る雨の1/3はブナの葉が受け止めます。
森の中では雨の音はブナの梢から聞こえるのです。ブナが受け止めた雨は外に弾かれること無く、幹を伝って森に染みこんで行きます。その量は針葉樹林の5倍とも言われます。ブナは根元で雨を蓄えるのです。大きなブナが一本あれば一枚の田の水が賄えると伝えられて来ました。


 緑の葉は日傘の役目も果たします。
そのおかげでブナの森は夏の間でも乾燥しません。ギンリョウソウ。暗い森に浮かび上がる姿からユウレイタケとも呼ばれます。土の中から直接、養分を得るので葉緑素を持たず、白く透き通っているのです。光合成をせずに育ちます。湿った森の夏の草です。


 フジミドリシジミは日本のブナの森にしか生息しない貴重な蝶です。蝶になるとほとんど水だけを吸って生きて行きます。そして命が尽きる夏の終りまでの短い一生を、この森で過ごすのです。

 森の中から水が滴り落ちるような音が聞こえる。
アオモリガエルの卵から、おたまじゃくしが誕生しています。卵が乾燥しないように泡で守られています。その泡の中から小さな命が音を立てて森に旅立っていきます。アオモリガエルのおたまじゃくしの水溜りに落ちる音が、森に響いているのです。

 夏に大きく育つブナは、落ち葉に染みこんだ沢山の水を根から吸い上げます。

ブナの幹に耳を当てると『ザー』という音が聞こえる。昔からブナが水を吸い上げる音と信じられて来ました。実は、大きな枝や葉が振動して聞こえる音なのです。

 強い日差しが照り付ける朝のことです。不思議な光景が現れました。
白いガスが、みるみる森を覆って行きます。森の中では雨上がりのような重たい空気がたち込める。白いガスはブナが作り出していました。森が熱くなるとブナが温度調節をして水蒸気を葉から出しているのです。白いガスは森の呼吸そのものです。ブナが吐き出した水蒸気は2時間経つと雲を作り雨を降らせます。ブナは水を蓄え、水蒸気を上げ、雲を作り、再び雨を降らせます。

 ブナの森は巨大な水がめです。
森から溢れ出る水は日照りの時でも涸れることはありません。里の家々は川から引いた水路に沿って広がる。里で【へげ】と呼ぶ水路です。人々の暮らしは【へげ】を利用して成り立っています。炊事、水浴び、洗濯、全てが【へげ】の水で事足りるのです。

 ブナの幹には白い木肌が見えないほどコケが生えています。
そのコケで意外な生き物を見つけました。キセル貝、大きさ4cm程の巻貝です。ブナの幹の表面をこそげながらコケを食べています。ブナに生えるコケ、コケを食べる巻貝。その繋がりが、さらに別の生物に繋がって行きます。夜の霧に小さな光りが飛びます。
 
蛍。白神では7種類もの蛍が確認されています。

蛍の中には幼虫を陸で生きる種類もいます。クロマドボタルです。このクロマドボタルの幼虫が森に住む巻貝を食べる。光りのランプ、無数の蛍の舞い。この森だからこそ生まれた、生物達の造る小宇宙。









     『秋』
 
 白神の森に秋が来ました。命を引き継ぐ舞台の幕開けです。
春に、芽吹いた緑が駆け上がった山が黄色や赤に染まっていきます。
【峰走り】の山を、秋が一歩づつ降りるのです。
ブナは落葉樹の中でも、最も長い期間、葉を付けている。
雪解けで芽吹いたブナは落葉の季節まで葉を落としません。ブナの葉は働きの最後の瞬間、金色に輝く。
そして命が芽に引き継がれるのです。
落ち葉は分厚い層を作ります。落ち葉は長い年月をかけてブナを育てる土に変わって行くのです。

 森の中に、ポッカリと空間があきました。
ブナの老木が身を横たえています。300年の時を生き抜いた最後の姿。
強い風や雪に耐えきれずに倒れたのです。その回りでは幼いブナが何本も育っています。
老木は倒れる事で次の世代に太陽の光りを届かせるのです。
落ちた実から10cmの高さに育った3年目のブナ。
半径5mの広場で、たった一本が次の300年を引き継いで生きて行きます。
 フジミドリシジミが短い一生を終えていました。
次の一年を待つ、ブナの芽のそばに直径わずか1mmの卵が生み付けられていました。

 白神を蓋い尽くす秋の色。
数え切れない色の一つ一つが次の世代へ引き継がれて行く色なのです。

 山の神に餅を供え一年の感謝を表す日。
田植えの頃、降りてきた山の神がこの餅を背負って山へ帰ります。

 ブナが葉を落として白骨を晒しています。
でも梢は、新しい芽で赤く染まっています。森は次の一年を生き抜く力を蓄えました。
森には一面にブナの実が落ちています。一本の大木で2万個の実が付くと言われます。
森の小さな生き物は、このブナの実を食べて長い冬に備えるのです。
     『冬』
 
 森に再び冬が来ました。白神が人を寄せつけない季節を迎えました。
幼いブナも雪に守られて冬を越します。厚い積雪のおかげで凍る事はありません。

 滝も凍りました。
森と里を繋ぐ水は少しずつ流れ続けています。 厳しい冬を生き抜く力。ブナの力が白神の森を作りました。雪を解かし、雨を蓄え、雲を作る。ブナの力が8000年の時を伝えます。


 そして、また、新しい時間が始まるのです。
世界遺産ブナの森の不思議―――NHK総合TVより