編集子
男は、もし特に何かすることがないのなら一緒に来ないか、と私を誘った。
そこから200メートルほど登り、丘の上に出た。来るつもりだった場所に着くと、男は鉄の棒を地面に打ち込みはじめた。こうして穴を掘り、どんぐりをひとつ入れ、埋め戻した。ナラを植えていたのだ。この土地はあなたのものか、とたずねると、ちがうと答えた。だれのものか知っていますか。男は知らなかった。

昼食の後、男はまた種どんぐりの選り分けをはじめた。男は3年前から、この寂しい土地で木を植えつづけてきたのだった。すでに10万個は実を植えた。この10万個のうち、2万個が芽を出した。そして2万本のうち、さらに半数はネズミなどにかじられたり、神の摂理による、予測しえない何事かによって駄目になる、と男はみていた。1万本のナラがのこり、それまで何ひとつなかったこの土地に育ちつつあったのだ。


私は彼に言った。30年もすればこの1万本のナラの木は見事なものになっているでしょうね、と。彼はごく素直に答えた。神様がわしを生かしといてくれて、30年もすれば、ほかにもっともっと植えているわけだから、この1万本など大海の中の一滴の水のようなものになっているだろうね、と。

彼はすでに、このほかにブナの繁殖を研究していた。そして家のそばに、実生のブナの苗床をこしらえていた。試験用の苗はとても美しく、羊からまもるために柵で囲われていた。彼はまた、谷間用にシラカバを考えていた。谷間では、地表から数メートルのところに水分がいくらかねむっているから、と彼は言った。翌日、私たちは別れた。
55歳だと男は言った。エルゼアール・ブッフィエという名前だった。
彼は一人息子を失い、次いで妻を失った。彼は人里を離れ、羊や犬としずかに暮らすことにした。この土地は木々がないため死にかけている、と彼は以前から判断していた。大した仕事もないので、この状態をなんとか良くしようと決心したのだと、彼は付け加えた。



エルゼアール・ブッフィエは、1947年、バノンの救貧院でやすらかに息をひきとった。
ジャン・ジヨノ
1895年フランス南部マノスクで生まれ、生涯そこで暮ごす。
1929年【丘】(Colline)で作家としてデビューして以来、小説、詩、劇、翻訳等で幅広く活動。【河は呼んでる】などの、映画シナリオライターとしても大きな足跡を残している。
1954年にはアカデミー・ゴンクール会員に選出され、母国フランスでは非常に著名な作家である。1970年、マノスクにて死去。
【木を植えた男】は、1953年、アメリカの編集者の「あなたがこれまでに出会ったことのある、最も並外れた、忘れ難い人物はだれですか」という質問に対する回答として書かれた。
この驚くべき物語を受けとった編集者は、事実を調査した結果、物語の主人公ブッフィエが実在した人物ではないことを知る。実在した人物について書くことを要求していた編集者は原稿の掲載を拒否し、ジヨノは結局、この原稿の著作権を放棄する。
1954年3月、【希望を植え、幸福を育てた男】として出版されて以来、エルゼアール・ブッフィエの物語は多くの言葉に翻訳され森林再生の努力を励ましつづけている。

作者ジャン・ジヨノは、この物語の意図を、『人々に木を植えるのを好きになってもらうことだ』と、語ったそうだ。
フレデリック・バック
1924年、ザールブリュッケン(当時フランス領、現ドイツ)に生まれる。物心ついたころから絵を描き始める。
1948年、妻ギレーンとの結婚をきっかけに彼女の故郷であるカナダに移住。
1982年【クラック!】がアカデミー賞短編映画賞を受賞。
1987年【木を植えた男】がアヌシー国際アニメーション映画祭グランプリ、第2回国際アニメーションフェスティバル広島大会グランプリ、第60回アカデミー賞短編賞を受賞するなど、世界的に有名なアニメーション作家。
『私は、たぶんいままで1万本ぐらい植えただろうし、ミツバチも飼っています。カナダの植樹政策というのはまだ歴史が浅くて、伐られる木が非常に多くて、植えられる木は少ないという状態だったのですが、去年は、伐る木に対して植える木のほうがカナダの歴史始まって以来、初めて逆転しました。去年植えられた木が2億5000万本、それまでは大体300万本だったといいますから、これだけ具体的に大きな反響をまきおこすことのできたアニメーション映画を作りえたことは大きな喜びです』
高畑 勲(たかはたいさお)
1935年、三重県伊勢市生まれ。演出家。東京大学仏文学科卒業後、東映動画へ入社。1968年、劇場用映画【太陽の王子ホルスの大冒険】を手掛ける。以後TVアニメ【アルプスの少女ハイジ】【赤毛のアン】【母をたずねて三千里】劇場用映画【セロ弾きのゴーシュ】【火垂の墓】文化記録映画【柳川堀割物語】を監督。プロデュース作品に【風の谷のナウシカ】【天空の城ラピュタ】がある。
【太陽の王子】で全国映連ミリオンパール賞、【ハイジ】でテレビ大賞特別賞、【ゴーシュ】で毎日映画コンクール大藤賞、【火垂の墓】で第1回児童青年モスクワ国際映画祭グランプリ、【柳川】で毎日映画コンクール文化記録映画賞などを受賞。
『【木を植えた男】の制作には五年の歳月を要し、その間に描かれたスケッチは、完成動画としてだけで二万枚にのぼるという。一粒一粒一本一本と植えつづけたあのエルゼアール・ブッフィエの生涯を描くには、その営々たる努力に可能なかぎり近づくことがバックさんには必要だったのかもしれない。ブッフィエの一本一本植えた木が森となり、水をはぐくみ、人々にしあわせをもたらしたように、バックさんの描いた一枚一枚は、見事な作品となって花を開き、実をつけ、人々の心に深い感動の木を植えたのだった』
ーーー【木を植えた男を読む】高畑勲訳著、徳間書店(1990発行)より
【木を植えた男】の物語は、すでにご存知の方も多くいらっしゃるでしょう・・・長い引用をお許しください。
春は全国で、緑の再生・水源復活などのイベント活動がさかんに行われる時節です。この機会に物語をふり返り、ジヨノの思想に触れてみるのも意味のあることと思ったからです。

ジヨノが示した『植林努力ー森林再生ー水源確保ー希望と幸福の蘇生』の思想は、第二次世界大戦直後に、荒廃したフランスの片田舎で生まれ、世界中の自然を愛しむ人々の心の支えとして受け継がれてきました。
【木を植えた男】のテーマは、地球規模で自然環境保護が唱えられる時代だからこそ輝きを増す、まさに未来に語り継がれるべきメッセージですね。

皆さん、それぞれに自然保護、野生生物保護についての、お考えをお持ちでしょう。【熊棚・くまだなの会】も、拙い経験ですが自ら活動を重ね、何がしかの思いが生まれています。

大阪ガスによるLNG(液化天然ガス)備蓄基地建設計画が頓挫してから2年弱あまり経った今年1月、大阪ガスは、中池見湿地を含む所有地を敦賀市に寄贈すると発表しました。ここは昨年8月に見学をし、湿地の保護には周辺の山々を含めたものでなければ(あたりまえの事ですが)と感じましたので、このニュースを知った時には、とても嬉しく思いました。

また、和歌山県龍神村や、村森林組合・林業関係団体で構成される竜神林業開発会議が、村全域で人工林の一部を本来生育する雑木林に変える取り組みを始めるとの報道がありました。
(2004年2月21日、毎日新聞)
これも野生生物にとって生息環境が広がることになります。スギやヒノキの単相林で、植えっぱなしのままでは地力が失われて行くばかりです。山の尾根筋など、放置され荒れ放題の人工林を、どんどん自然林に戻してください。個人の山持ちの方も、ぜひ、お願いします。

月を足がかりに火星を第二の地球にしよう、壮大な宇宙開発計画が伝えられる昨今です。
でも一方で、心豊かな人々の力で、この地球には手付かずの自然が守られており、多くの尊い命の営みが繰り返されていることを、決して忘れてはならない、私はそう考えております。
紀伊山地
野生鳥獣保護友の会
東山先生、冨田さん



先日、角間木谷を見てきたのですが、進入路が崩落していました。現在復旧工事中ですが、3月いっぱいかかるようです。手入れ作業は延期しようと思っています。

恒例の4月の行事は、18日に中尾谷を予定しています。詳細はまた連絡させていただきますので、よろしくお願いします。
福島県・天性寺
わくわく和尚

2004.2.14
ようやく真冬の寒さも峠を越したようです。
先日新聞で読んだのですが佐渡のトキ達を鳥インフルエンザからどう守ればいいかと試行錯誤のようです。
見えない病気だけに気遣いも大変なのでしょうね。絶滅したら大変ですもんね。
絵本の部屋
北山まみさん

ちょっと温泉に行きました。露天風呂に入ったり、雪の結晶を見たり、こんなにたくさんの白鳥にも合えましたよ、はじめて自然の中で・・・・・・春になったら旅立つのですね。では、また。
名張育成園・リネン室
さとうみどりさん

2004.1.17
せっかくリネン室に来ていただいたのに、月水金の午後は入浴時間帯で、職員は動きまわっていて、ゆっくりお話をしていただくこともできませんでした。でも、施設のこんなことが日常の当たり前の風景ということを、一人でも多くの方に接していただきたいのが私の思いでしたので、とっても嬉しかったです。

自分の意志だけでは、どんぐり拾いも、まして届けることも、どんぐりを拾っていることを認めてもらうことも、ままならない生活の中で、笑顔で優しく過ごしておられる方々に会っていただけ、よかったです。
「どんぐり拾いに連れていってあげたいなあ」と思いながら仕事の洗濯をしている私です。

グランキューブ大阪(12F)
大阪国際会議場にて
花の万博記念講演
【なぜ、熱帯雨林をしらべるのか?】
ー熱帯雨林のたいせつさと研究の未来ー
総合地球環境学研究所:中静透(なかしずかとおる)教授の講演を拝聴

講演会ひとこま
【子供と本とおとなをつなぐ講演会】
3月13日(土)名張市美旗市民センター・2階ホール
講師の正置友子先生(絵本学博士)は、梅花女子大学で教壇に立たれ、『戦後60周年子どもの本・文化プロジェクト』の代表も努めておられます。とても有意義な講演を聞かせて戴きました。

まんじゅうをネダッテ(笑)
鼻をクンクンさせる太郎君
【ツキノワグマ太郎に会う】
3月7日(日)
ツキノワグマの太郎君に、久しぶりに会いに行きました。
急に冷え込んだ日でしたから、寝床に戻ってしまったかもしれないね。
安心しました。雪積もる中を元気に飛び出してきました。

アスト津・研修室にて
三重県獣医師会主催
【野生傷病鳥獣救護に係わる研修会】
2月22日(日)
『野生動物リハビリテーターについて』
野生動物救護獣医師協会・皆川先生の講演を拝聴
【熊棚・くまだなの会】の最新情報、詳しい活動内容はをご覧下さい。
森のひと口メモ

Brian Wildsmith
(ブライアン・ワイルドスミス)作品より
環境問題への関心が高まる中、木材生産国で急速に広まっているのが、森林の認証制度で、最も多く取得されているのが環境管理の国際規格【ISO14001】
伐採企業の場合も、
  環境に、そこに生息する野生生物に配慮した組織運営がなされているかどうか
  法律を遵守しているかどうか
などを国際標準化機構(ISO)が認めた登録審査機関に審査してもらう

林業経営の認証では、環境保護団体や先住民団体、木材の取引企業などが集まって1993年に設立された国際機関【森林管理協議会(FSC)】の認証制度が国際的に有名
  皆伐を最小限にとどめること
  自然林から人工林への転換(拡大造林)を認めない
など、FSCの基準は厳しいのが特徴である
ザゼンソウ(ザゼンソウ属・さといも科)
  仏炎苞(ぶつえんほう)のある花序を僧が座禅をしている姿に
  見立てたから。
  本州、北海道、およびサハリン、アムール、ウスリーに分布。
  谷間の陰地にはえる多年草。
  葉は根生で長柄につき長さ30〜40cm。
  花は3〜5月。
  ーーー原色牧野日本植物図鑑から抜粋

インターネット検索より

『鎌倉時代の仏教に禅があります。禅は中国で、特に宋の時代に発展した仏教です。仏教はインドからきたのですが、中国で盛んな道教と結びついて独自な仏教を育てた。それが禅です。中国の仏教の主流は禅であったと言ってもいい。禅は中国で発展した中国独自の仏教ということができます。そして日本にその禅がもっともよく残っているといえます。(中略)
曹洞禅は道元が始めた禅です。道元は公家の子どもですが、中国へ行って禅を学んで帰ってきた。帰ってきて言った言葉がいいんですね。
「私は裸一貫で帰ってきた」
中国へ行くと、それまでのお坊さんたちは、空海なんかその代表ですが、たくさんの経典を持って帰ってくる。ところが道元は、「私は裸一貫、禅の悟りを中国で得てきた」という。そして京都の宇治でお寺を開くんです。しかし、どうも京都では伝統的な仏教の圧力が強いというので、福井県に行って永平寺を建てた。
禅は修業が厳しいんですが、特に曹洞宗は厳しい。朝は三時頃に起きて、作努をする。便所掃除をしたり、食事を作ったり、そういうことをやらないと一人前の坊さんになれない。そして厳しい座禅をやる。道元はそういう厳しい禅の修業をする宗派である曹洞宗を日本に開いたのです』ーーー【梅原猛の授業・仏教】梅原猛著(2002年・朝日新聞社)より


  【座禅草ちひさき意志のありどころ】ーーー百画(旧作です)

昨年、梅村直巳冒険館(兵庫県城崎郡日高町)を訪ねたおり、阿瀬渓谷のザゼンソウ群生地のことを知りました。渓谷の奥には、植村直巳が愛した山で兵庫50山のひとつ蘇武岳(1074.4m)が聳えています。いつかある日に登りたい山です。

私事で恐縮ですが、この春に息子の一人が巣立ちます。
かれこれ三十年も前になりますが、田舎のひなびた駅のホームで見送ってくれた両親の姿を想い出し、とうとう私もそんな年齢になったなどと感慨にひたっております。
春は心浮き立つ季節、そして新しい旅立ちの季節でもありますね。

◆月の輪ひろばでもご案内しましたが、4月18日(日)に植樹会が開催されます。何十年か先になって、自分の手で植えた木が大きく育ち、木の実をたわわにつけ、数多くの野生生物がその木の実を食べる様子を思い描くことは、ほんとうに愉快な心持がします。皆さん、どうぞ、ふるってご参加ください。お待ちしています。