◆巻頭言 『栃の木』   編集子
『人間が溢れて、住むに寸土も余さないほどの日本に、いまだ野獣王国などと呼ばれる白色地帯があったのかと、驚かれる人もあるだろう』
『飛騨山脈、白山山脈、中央アルプス、四国の中部山岳地帯、九州の大分、宮崎県山岳地帯などでさえ、急速に、野獣の数が少なくなっている時、奥吉野の台高山脈や大峯山脈はいまなお野獣の国の名にふさわしく、種類と数を誇っている』
『夏、山路を歩いていて、クマ、イノシシ、カモシカ、テンなどの足跡が無数に見られ、時に、その姿や声に接するということは、飛騨山脈でも、夏はめったにないことであるがーーー私が、あえて野獣王国と呼んだ理由は以上のようであるが、この地方に、ニホンオオカミが生き残っているという話も、現地を歩いてみると、ごく自然にうなずける』
『なお、ここに納めた各編は、三之公谷の西浦房太郎氏兄弟、同じく福上梅蔵氏兄弟、入之波の山口広吉氏父子、中平六郎、陰山愛造、下西荒吉、亀井良太郎、亀井雄次郎、下西荒太郎各氏及び、泉州山岳会の仲西政一郎氏、京交山岳会の伊藤潤治氏等の体験や情報によって取材したものである』
ーーーーー【奥吉野物語】 斐田猪之介(ひだ・いのすけ)著:朝日新聞社(1957年)より


栃の実
斐田 猪之介(ひだ・いのすけ)
本名:井之丸喜久蔵 明治44年、飛騨古川に生まれる。
昭和8年朝日新聞社東京本社に入社。社会部、満州・マレイ・スマトラ各地の特派員を経て、終戦後帰国。のち大阪本社特信課勤務。朝日新聞名古屋本社企画部長を経て、同社の客員記者。ニホンオオカミの研究者として知られる。
著書【炉辺動物記】【山がたり】【続山がたり】【続続山がたり】
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【奥吉野動物記】は、昭和32年(1957)1月20日に出版された。
この本に目を通せば、『オオカミ行者』、『手長グマ物語』、『大台ガ原夜話』、『日本オオカミは生きている』の各編に息づく、往時の奥吉野の風情が感じられ、台高の主稜や峪々への想いが、ずんと深められるような心持ちになる。

北俣谷で大きな栃の木を見つけたのは、秋の深まった11月末(2003年)のことだった。
台高の雄、池小屋山。その南西面の山懐を、颯爽と流れる北俣川。
地図上で廃道と表示された林道を、のんびり歩いていると、左手の崖の上から、突然、立派な角の大鹿が、目の前に飛び降りて来た。
私たちも驚いたが、思わず「うわっ!」と叫んだ人の声に、大鹿の方こそ、びっくりしたに違いない。
ふりむきざま、こちらをじろりと睨み、すぐ先の崖を駆けあがると、視界からふっと消え失せた。大きな体のわりに細い脚をした、俊敏な奴だった。
「いやあ〜、すごい迫力だったね」
「ザサッ!」大鹿が落下した音は記憶に残っているが、落ち葉の上を走り去った時は、意外と静かなものだ。ああいうのが、ほんとの、野生の走りなんだな。後で、そんな気持ちがした。
人間社会においても、なにかにつけて騒ぎ立てるのは、宜しくないことの方が多いような・・・。
さて、大鹿との予期せぬ出会いと別れに気を良くした私たちは、少しく廃道化した材木切り出し道を遡ることにした。
この峪の深部は、吉野地方であたりまえのスギやヒノキの植林がされておらず、天然の森が広がっている。ここは紀伊半島では珍しい、わずかばかり残された国有林で、野生生物にとってオアシスのような場所になっている。
林道終点に腰をおろし、鎮まりきった夕映えの嶺々を、心ゆくまで愉しんだ。
足許に転がっている木の実を拾って、同行者が言った。
「ねえ、この実、何かな?」
「栃の実だよ。ほら栃の実せんべいとか、栃の実入りの蕎麦とかに使う・・・」
見上げると、あきらかに他の木々とは年輪の太さが違う、栃の大木が一本。
「ひょっとして、動物好きの人が、切らずに置いたのかも知れないね」
村に、伐採を禁ずる古い言い伝えがあったのか、それとも、製紙会社から伐採を請負った杣に、動物おもいの人がいたのか・・・、私には分からない。
確かなのは、はるか昔から、幾世代にもわたって、人も野生動物たちも、あの栃の木の恩恵にあやかってきたということだ。
「この栃の木は、わしらと、動物たちのために、けっして切ってはなんねえぞ!」
声高に言う、頑固親父の顔が浮かぶ(笑)。
あんがい【奥吉野動物記】の”あとがき”に記載されている、取材先の人々のなかに、その張本人がいたりして・・・。

本文でも、とくに【手長グマ物語】から読み取れる、人と野生動物との心温まる交流に触れれば、そういうことがあったとしても、あながち間違いではないような思いがしている。
◆月の輪ひろば(お便りコーナー)
福島県郡山市:天性寺
木町(わくわく和尚)さん
7月27日







 
この度の自然保護教室では大変お世話になりましてありがとうございました。
おかげさまで子供達共々大変有意義な時間を過ごさせて頂きました。
子供達が各班に分かれて色々な熊の生態について研究発表しましたが僕の予想以上に素晴らしい発表をした子供達には驚かされました。
子供のパワーってほんと素晴らしいと思います。
大人になると失われつつある想像力やみなぎる力にはほんといつも圧倒されます。
僕はこの座禅会を通じ、他人を思いやる心、そして大自然の中に生かされている自分達の存在を知って欲しいといつも願っております。
お米一粒、野菜の一切れだってそれぞれに命がありそして我々はその命を頂き生かされている。
普段の生活では考えはしないだろうけどお寺で生活したことによってそんな命のあり難さを知ってもらえたのなら嬉しく感じます。
森に住む動物達、海に住む動物や魚達、その他自然界に住むすべての生き物達を人間だけの都合で勝手に殺したり捕獲したりするのはほんと愚かな行為だと思います。
この勉強会を通じたった一つでもいいからそんな思いを子供達が持ってくれたのなら主催者としても喜ばしいことだし有意義な時間を過ごせたと感じます。
また来年も座禅会を続けるつもりです。
今年も子供達と一緒にくぬぎなどの苗を記念植樹しましたが、あの苗木が数十年経ち成長した時、参加してくれた子供達はまた同じ子供を持つ親となってるかと思います。
子供達が親となりお寺の近所を通った時大きく成長したくぬぎを見て、「あ〜あの時の苗木がこんなに成長したんだ」って思ってくれることを想像するとなんか心がワクワクします。
それ以上にどんぐりの実をつけた時、参加してくれたみんなとどんぐり拾いができたらすごく嬉しいかと思います。
自然界から見たら小さな小さな行為かもしれませんがこの思いがいつか通じた時、それはきっと大きな大きな財産となりうるでしょう。
また来年お会いできることを楽しみにしています。

わくわくさん、こちらこそ、よろしく、お願いいたします。
和歌山県有田市
紀伊山地
野生鳥獣保護友の会
東山省三先生

東山先生の著書【鳥の心山の心】を、送っていただきました。
千葉県松戸市
安本さん
8月26日

わざわざ、ありがとうございました。これからも、よろしく、お願いいたします。
三重県名張市
名張こどもの本の連絡会
名張育成園
さとうみどりさん

さとうさんから
イギリスではじめて開催された、日本絵本原画展の立派な資料を頂戴しました。
三重県名張市
絵本の部屋
まみさん


まみさんのご紹介で、伊賀び〜と9月号(伊賀びと見つけた!)のコーナーに、【くまだなの会】の活動を掲載していただきました。
◆季節の足あと(2004夏)
2004年7月27日
子どもの自然保護教室、開校。

【プログラム】
◆かみしばい上演【くじらの唄がきこえる村】
◆ゲーム【クマさん、お国はどこですか】
◆みんなで、ドングリの苗木を植えよう


天性寺(福島県郡山市)、住職:木町元猷さん、副住職:木町元秀さんのご好意により、緑蔭禅のつどい(子ども座禅会)の場を、お借りして、自然保護勉強会を開催しました。
70数名の子どもたちが参加しました。

創作かみしばい(←どうぞ、ご覧ください)
舞台は極北の大地。元気な男の子『ユク』、やさしい女の子『マータ』たちイヌイットの子どもが、
村の長老『カヤグナじいさん』から、いろいろな伝説をきいて、厳しくも豊かな大自然の中で、生きる勇気や知恵、動物たちのことを学びます。
プロジェクトワイルドの教材『クマさんお国はどこですか』で遊びました。シロクマ、ヒグマ、ツキノワグマの生態を、それぞれのチームでまとめ、発表しあいました。
みんな、想像力をはたらかせ、クマさんたちの食べ物と、住みかを書き出します。
ふうーん、そうなんだ、思わずなっとく、へー知らなかったよ、おどろいたなあ、ユニークな発想、珍回答の数々に感心したよ。
【熊棚・くまだなの会】の最新情報、詳しい活動内容はをご覧下さい。
◆ 森のひと口メモ
ナース・ツリー:インターネット検索より
【ナースツリー:倒木更新】
『誕生、死、そして再生という無窮のサイクル。
木はその一生を終え、地に倒れても、別の形になってさらに生き続ける。きっと、一見無駄に見える無数の倒木こそが、この森を支える母林なのだろう。
ひとりの人間が森の一生を見届けることはできない。森を見つめるとは、生態学というより、考古学に近いものなのかもしれない』

ーーー【イニュイック(生命)】 星野道夫著(1998年7月)新潮文庫より
◆編集後記
居間の日除けにと、軒先に植えたぶどうの実が色づきだすと、毎年、ヒヨが”つがい”で飛んで来ます。
熟したものから順に、逆さになって突付いたり、激しく羽ばたきながら、空中に同じ姿勢でとどまり、上手に粒をくわえたり、勢いあまって粒をはじき飛ばしたり・・・そんな様子を、面白く観察しました。
はじめの頃は、わずかな人の気配で、さっと逃げたものが、そのうち、だんだん慣れてきて、こちらが「パン、パン」と拍手したくらいでは、へいきで啄むようになりました。
それでも、食べるときは、さすがに人目を警戒してか、くちばしで粒をはさんだまま、居間から離れた物干し竿に移動します。
早朝から、仲良く飛んで来ては、「ピッピッピ、ピキー・・・・・・」、まことに賑やかで、ほほえましい。
盆前には、あらかた食べ尽くしてしまい、房が無くなると、まったく姿を見せなくなりました。正直なものです。
この夏の、9月になっても衰えない猛暑のかげんでしょうか、枝先からまた芽が伸びて、新しい房を付けました。でも、こんどの房は、あまり成長せず、小さなままで色づいています。ところが、ヒヨは、二度とやって来ません。
試しに、その小さな実を食べてみますと、すっぱいだけで、甘味の”あ”の字もありません(笑)。彼らには、とうに分かっていたようです。
【ぶどう棚かれてゆきあひの空のぞく】
                   ーーー百画
『高い空のどこかで、森の闇や熱帯夜の都会のどこかで、夏の風と秋の風が行きあって、あいさつをしている。そろそろ交代の時期ですね。いやまだまだ。でも衰えがめだちますよ。そんなことはないさ、処暑までふんばるよ。昔の人は、夏の風と秋の風が同居する今ごろの空を「ゆきあひの空」と表現した』
ーーー【天声人語(’85.8.8)】 辰野和男、朝日新聞社より
暑さ寒さも彼岸まで、このところ、やっと朝晩の涼しさを感じるようになりましたね。ぶどうの葉も散りはじめ、いよいよ、ドングリの季節になります。
今年も、山の給餌台へ、ドングリをたくさん届けてやりたいと思っています。皆さん、ドングリを拾って送ってください。どうぞ、よろしくお願いいたします。