これだけはやめて  近藤正明

 金光教祖が在世していた江戸時代末期、人々は病難と貧困からの脱出が最大の課題であった。教祖自身も、生涯病気との闘いであったし、なによりも3人の子供を、疫病によって失った苦悩は、はかり知れないものがある。(以降、教祖のことを文治と表記します)

 中でも1850年、37才の文治は、母屋の建築の最中に、二男槙右衛門を疱瘡(天然痘)で亡くした。長男を赤痢で亡くし、前年に長女を1才に満たないときにている文治は、自分の後継ぎと期待していた、可愛い盛りの二男の死はショックであっただろう。しかし、それにとどまることなく、三男・四男も疱瘡にかかっており、二男の葬儀どころでなくなってしまった。文治夫婦は葬儀を村人にお願いし、幼い二人の子供の看病に徹した。結果、子供たちは快方に向かい、文治は村人へ葬儀に対する手厚いお礼と、神仏へ病気回復のお礼を忘れなかった。

 当時、疱瘡は死の病いであり、特に伝染力の強さから大変恐れられていた。時代が進み、ワクチンが開発され、さらに種痘法の施行により、疱瘡の患者は世界的に激減、1980年には、WHO(世界保健機構)からは『天然痘撲滅宣言』が出され、人類対天然痘の闘いに幕を下ろしたのである。

 天然痘だけでなく、人間は科学・医学の発達により、長年苦しめられた不治の病とよばれていた病気を次々と克服してきた。それは現在も日進月歩続いている。

 それに対して、科学の発達は人の命を奪うための戦争兵器をも発達させてしまった。その中で憂慮すべきは、「生物兵器」と称される病原菌を使った兵器の開発のうわさが絶えないことである。アメリカでは、炭そ菌によるテロが、郵便という手段でもって実行されたが、これが生物兵器の実際に現れた形になってしまった。さらに今最も恐れられているのが、「天然痘兵器」であると言われている。何のために、人類が恐ろしい病気と闘い、治療法を発見してきたのか、本当にわけがわからない。

 人間が勘違いして、神様よりえらくなってしまったとき、やはり考えられないことが起きるのかもしれない。少なくとも平和で、恵まれた国家に生きる私たちは、そんな勘違いをしてはいけない。そして、世界の中で勘違いをしている人たち、科学の発達を人殺しに使うのだけはやめて。〔11月号(107号)巻頭言〕