教師補命10年を迎えて  近藤佐枝子

 早いもので教主金光様から、教師の補命を頂いて、この6月でもう10年になります。ということはここ名張にきて10年。まったく、なにもわからないまま教会の御用を頂いて、ただ教会にいることしかできないと言っていた自分が、今はどうなったんだろうなどと考えてみることが最近多くなりました。

 当時は毎日、緊張して緊張して生活していたなとか、逆に、変に肩に力が入っていたけれど、それがなくなったなとか、たくさんの人と色々な話をしたなとか。この10年を色々と振り返ってみたりしています。でも結局、いきつくところは、なんやかんや思うことがあっても、ありがたい御用を頂いているんだなということ。不足を言っては申し訳ないなということ。この二つにつきるのです。

 人間ですから、色々思い悩むこともあるし、腹が立ったり、悲しんだり感情が入り乱れたりします。そんな時は、何もかも後回しにしてお広前に座ります。そして、思うがまま口には出しませんが、感情を神様にはきだすのです。すると、何となく気持ちの中に整理がついてきます。今度はこうしようとか、こう言おうとか思い浮かんできます。でも不思議なのですが、思い浮かんできたことを実行する前に、自分の心がおさまってしまって、解決してしまったりするのです。そして、感情的になってしまったことを反省し、不足に思ったことも反省したりしています。

 でもよくよく思えば、私には感情的になったとき、すがるものがあるということが、本当にありがたいです。すごく助けられている、そう思えるのです。だから日々の生活が窮屈で、縛りつけられているような気になるときがあっても、それを、不足に思っては申し訳ないと思うのです。

補命10年目の節の年に、自分の思いを整理でき、そしてこれからも自分にとって嫌なこと、つらいことがあっても、その中からいいことを見つけ出せるような信心を、また思いを素直に神様に伝えられるような信心をと願っています。

そして、金光教教師の自覚を持って、教会長の手代わりとして名張教会の御広前をしっかりと守って行くのが、神様から頂いた御用だと改めて思わせて頂いています


【「和らぎ」114号(平成14年月)巻頭言】

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