自慢は「教主金光様」  近藤正明

 8月29日、例年通り、金光八尾高等学校3年生の本部参拝が行われた。開校3年目から始まったこの行事は、3年間無事に過ごさせて頂いたお礼と、卒業後のそれぞれの立ち行きをお願いし、世のお役に立つ人にならせて頂くことを願いとして実施させて頂いている。本年も276名の生徒が参拝した。
 毎年そうなのであるが、生徒の大多数は金光教の信仰と縁のない、いわゆる「未信奉者」であることだ。金光大阪高校の参拝と合わせて、毎年600名以上の「17,18歳の青年未信奉者」が本部広前に参拝し、一勢に拝礼する様子は何ともいいがたいものであろう。 金光八尾の場合、参拝と講話拝聴、教祖の聖跡を巡拝の後、生徒たちに自由時間を与えている。参拝の二日前より「参拝指導」をして、教祖の映画視聴、参拝作法の練習を行うが、その際、「自由時間に、個人的に金光様のところへお届けに行きたい者は、作法を言うから申し出て下さい」と説明をする。前日には三名の申し出しかなかったので、「ああ、今年は少ないなあ」と思っていたが、当日になって、十数名が申し出にきた。それで、講話拝聴のあと、全生徒に作法や注意点について説明をした。すると、自由時間にざっと60名以上の生徒が、金光様のところへ入れ替わり立ち替わりお届けに参ったのである。
 お届けに行った生徒は、前述の通り、未信奉者である。入学するまでは「金光」を「こんこう」とまともに読めなかった生徒もいる。そんな彼らが、本部広前のお結界で行列をなす姿に、私はいたく感動した。彼らが目前に抱える進路の問題、あるいは人間関係の悩みなど、さまざまな事を願ってきたのであろう。後で聞くと、「金光様が『生神』という意味について話して下さった」「愛という言葉の意味について語られた」「歌を詠んで下さった」など、数名の生徒が金光様からおことばを頂いたことを話してくれた。
 金光教の生命線は、何をさておいても「取次」である。私は新学期早々の授業で、「金光教で自慢できることを一つあげるなら、それは金光様や。金光様は朝4時から、夕方4時30分まで、食事や休憩される時をのぞいて、365日休まずあの『お結界』に座られて、お参りされる方の悩みや願い事を、神様に取次いでお祈りして下さってるねんで。金光教の信者であろうがなかろうが誰でも、何の予約もなしに手続きもなしに、俗に言う、その宗教のトップの人と、数十センチの距離で お話しできるねん。そんな宗教世界中に二つとないで。金光様の取次が、一番自慢できることやねん」と話した。
 未信奉者の高校生たちが、ここでご縁を頂いた。もう二度と本部参拝にいくこともないであろう、多くの生徒たち。だからこそよけい貴重な体験になる。良い思い出として、卒業していって欲しい。そして、参拝の願いのごとく、世のお役に立つ人になって欲しいと、願ってやまない。 


【「和らぎ」
117
号(平成14年月)巻頭言】

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