◆巻頭言 『植物になりたい』   編集子
『ひょっとして、おれの身体の一部は、植物になりたがっているのではないか』
植物になりたいという気持ちは、子どものころからあった。
この地球上では、動物たちは酸素がなくては生きてゆけない。しかも動物は自ら酸素をつくりだすことはが出来ない。酸素は植物が光合成で作っている。動物たちが生きるために必要なエネルギーだって、その大本は、植物が太陽熱を使って作った糖ではないか。そう知ってからだ。
大人になって、希(ねが)いは本格的になった。地球は今、とめどなく炭酸ガスやその他の有害物質が増え、汚染が進んでいる。そんな汚染環境を克服して生き残ってゆくには、なまじ人間なんかやっているよりも、いっそ植物に変身した方が、ずっと堅実なのではないか。
かくして私のライフワークは、一刻も早く、自分が植物になれる方法を探し出すここと相成った。
ーーーーー【森の小さな方舟暮らし】(新思索社・2000年9月)畑山博著より

ジャガイモの花
畑山博
(はたやま・ひろし=宮沢賢治に関する著書で知られる)

2001年9月2日、神奈川県横須賀市の病院で死去。66歳。東京都出身。高校中退後、旋盤工などさまざまな職業を経て、テレビの台本作家に。NHK教育テレビの「若い広場」を担当した。
1972年、小説「いつか汽笛を鳴らして」で第67回芥川賞を受賞。
その他の主な作品に「狩られる者たち」「母を拭く夜」「海に降る雪」など。教育者としての宮沢賢治に私淑、89年に岩手日報文学賞「賢治賞」を受賞したほか「教師 宮沢賢治のしごと」「宮沢賢治幻想辞典−全創作鑑賞」などの著書がある。(岩手日報から転記)
 *****************************************************
ネコの額ほど、いいえネズミの頬っぺたほどの庭で、私も野菜づくりをしている。
故・畑山さんの所のように、拙宅のちっぽけな菜園でも堆肥代わりに入れた生ごみから、スイカ、カボチャなどが勝手に芽を出し、勝手に育ち、少しく収穫に恵まれることがある。なにやら、ちょっぴり嬉しいものですね。
今年は、ジャガイモの薄青紫色の花が咲いた。ご近所からいただいたものを選り分けた時に、小粒な芋を放っておいたら、知らぬ間に成長していたようだ。
「畑山さんは、ジャガイモの花が似合う作家だった」
ぐうぜん咲いたジャガイモの花を見ていたら、こんな考えが浮かんだ。芥川賞作家に対してなんと不遜な・・・・・・お叱りごもっとも。けれど畑山さんの飾らない生き方から受ける、私の正直な印象です。
ジャガイモの原産地は南米アンデス地方。16世紀、スペイン軍により本国へ持ち帰られヨーロッパに広まる。日本には江戸時代に、オランダ人の手によって持ち込まれたとか。
ジャガイモが、ヨーロッパ大陸の森林破壊の主役のひとつだと言われて、皆さんどう思われますか。石弘之さん(環境学)の講演でこのことを聞いたとき、すぐには信じられませんでした。
戦乱に明け暮れる男どもは頼りにならぬ。寒冷な気候でも、荒地でも簡単に栽培ができ、保存可能な食料はないものか。女たちは子どもを守るため、せっせと畑を耕してはジャガイモ作りに精を出し、とうとうヨーロッパの広大な自然の森をジャガイモ畑に変えてしまった。(ジャガイモは、なにも悪くないのですね・笑)
現在見られるヨーロッパの森林風景のほとんどは、後の世になってから再生された人工の森なのだそうです。
さて、畑山さんは、こうも書いておられる。
『木になって、千年もそこにいてもいいーーーーーそう思える場所。(中略)
木のように静かにそこに立てば、あたりの匂いのごくわずかな変化にも敏感になるだろう。見えなかった風景の奥の「気配」も見えてくる』

緑にとけ込むような畑山さんの思索からはほど遠いのですが、一人で山中に据っていると、確かに野生をごく身近に感じることがあります。
梢で、野鳥が激しく囀りながら木の実を啄ばみ、スッと渓流の煌きに隠れる岩魚の影がみえる。ふと気づけば、幼いシカが、数メートル横をトットットッと走り去る。物音に驚いたカモシカの赤ちゃんが目の玉を白くむいて、必死で崖を駆け逃げる(ほんとに、可愛らしかったよ)。猛禽がヤマカガシを掴んで悠然と舞い飛び、ニホンザルの群れが林道脇で騒ぐ。ヌタ場に残された真新しい足跡の数々、獣道。
5月、薊岳の尾根筋で、クマザサを揺らせた荒い鼻息の主は、ひょっとしてツキノワグマだったのかしら。
このごろとみに野生動物との接触が貴重に思え、彼らともっと深く付き合えないものかと考えています。
◆月の輪ひろば(お便りコーナー)
Yottan Bears
よったん
2004.5.31
Yottan Bearsのよったんです。
先日、NHKで足尾の山の緑化プロジェクトの番組を見ました。ツキノワグマが戻ってくるほど、緑化が進んだ、と。
一方で減っている地域があり、劇的な動きとして大きく取り上げられるわけではなく、地道な活動を続けている人たちがあり。
私にできるのはどんぐり拾いと、普段の暮らしを少しでも変えていくことくらいしかないのですけれど世の中が変わって行ってほしいなぁ、と思う方向にまず、自分がちゃんと変わらなきゃ、とかなり元気になってきたので、今までできなかったことをいろいろとやってみようと張り切っています ^-^
伊賀森林ボランティア
サークル
岡本さん
2004.5.17
伊賀森林ボランティア「五月の会」はあいにくの雨でしたね。
(前日はお天気もよかったのですが・・・)
作業的にも足元がぬかるむ中、ご苦労さまでした。
皆さんの協力によりきれいに森が整備出来ました。
加えて最後の総会まで出席下さいましてありがとうございました。
また次回、夏の会も計画しております。
時間の都合が付けばご参加下さい。
名張育成園
さとうみどりさん
2004.5.7
「私の一冊文庫」 OPEN です。すずらん文庫 から 20年が たって やっと 2つ目の 文庫が 開きます。知的障害のある方にも 大学(大人が 学べる学校)を ! は 無理だったけれどこんなに 素敵な 文庫が開けて 嬉しいです。街 そこが 学校、 山 、田畑、川、空、・・・そこが 学校 そう思うように ようやく なってきました。
 「自然界は 薬の宝庫!  野生動物は自然の 偉大な治癒力を知っていた」 の見出しに引かれ手にした本です。 私にはちょっとむづかしかったのですが・・『どうぶつ達の自然健康法』 〜野生の知恵に学ぶ〜Wild Healthシンディ・エンジェル著  羽田節子 訳  紀伊国屋書店
福島県・天性寺
わくわく和尚さん
2004.4.29
福島の桜も駆け足したようにあっという間に散ってしまいました。これからは山菜採りや山を歩く方には最適な季節ですね。山の熊さん達もそろそろ冬眠から目覚めた頃かな?
娘もこの春から中学校へ入学し部活動等頑張ってます。この中学校が大変自然豊かな場所にありなんと学校の周辺はどんぐりの木(くぬぎ)だらけなのです。入学式の時に気付きこれは秋が楽しみだと密かににやけてしまいました。今年の秋には沢山どんぐりお送りしますので山の動物たちに届けて下さいね!!
佐渡のトキも早速ひなが生まれたようですね。今シーズンもまもなくベビーラッシュとなるのでしょうけど今後益々増えることを祈ってます。1日も早く青空の下大きな翼を広げ自由に羽ばたくトキを見たいものです。
絵本の部屋
まみさん
2004.3.23
大勢の方に正置先生のお話し聞いていただいて良かったです。私も先生と久しぶりにお話しできて良かったですよ。葉書も載ってるし思わず顔がほころんでしまいました。
昨日、出先から戻る途中、すごい雪でしたよ。冬に逆戻りみたいでした。帰ってきたら庭のチューリップも葉っぱがだいぶ出てきましたよ。
クマくんたちはそろそろ起きたかな。あくびをしているのかな。
◆季節の足あと(2004春)
 5月16日、伊賀森林ボランティアサークル『五月の会』に参加
 4月18日、中尾谷造林地で開催された植樹会(主催:紀伊山地野生鳥獣保護友の会)に参加
【熊棚・くまだなの会】の最新情報、詳しい活動内容はをご覧下さい。
◆ 森のひと口メモ
 ツキノワグマ 【シベリア博物誌】
福田俊司著(偕成社)より

「ベア・アンブレラ(クマの傘)」
クマがすめるほどの森には、クマを頂点にして多種多様な動物がすむことができる。その豊かさを象徴し、そう呼ばれている。「日本のクマの傘は破れかけている」 林秀剛・信州大学元教授、談

ーーー2002年7月29日、中日新聞より
◆編集後記
インターネットの普及で便利な世の中になりましたが、ウエッブ上のささいな諍いが原因で(一部の報道)、私たちには想像すらできなかった事件が起きてしまいました。
情報ハイウエイに、まったく無防備で、未熟な運転技術で乗り入れてしまう子どもたちを、できる限り安全走行ができるように、大人が責任をもって守ってやらなければならないと、ある方が仰っていましたが、その通りだと思います。

毎年恒例の、天性寺(福島県郡山市)緑蔭禅のつどいの場をお借りして、『子ども自然保護教室』を開催します。
今年は、北極圏を舞台にした人と野生動物の物語を紙芝居で上演し、ゲーム『クマさん、お国はどこですか?』で、楽しくクマの生態を学びます。
また、全国の皆さんが送ってくださったドングリを蒔いて育てた苗を、天性寺の裏山に植樹することも計画しています。
お互いの個性を尊重し合い、思いやりの心をもって生きてゆく、そういったテーマでべんきょう会を進めてまいります。
わくわく和尚さん(天性寺・副住職、木町さん)、皆さん、どうぞ、よろしく、お願いいたします。
【山深く鈴音しみて樹雨落つ】ーーー百画
『樹雨』(きさめ)、(きあめ)ともいう。濃霧のとき、霧のしずくが森林の木の葉にたまり、それが大粒の水滴となって落下するもの。幹を伝って流れもする。夏の雨。ーーー【雨の名前】 高橋順子・文、佐藤秀明・写真より
この休みに、台高山脈の明神平を散策しました。
寂として深い森。山の気がたちのぼり、雨粒が不規則に落ちてきます。木々の青い色に染められた時間がゆったりと流れ、濃い霧の中で熊よけの鈴音だけが聞こえていました。
また一つ、すてがたい山の魅力を知らされた、そんな心持ちのする一日でした。