真言律宗 宇霧須山吉祥院
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宝巌寺の沿革

宇霧須山吉祥院と号し、奈良市にある真言律宗大本山西大寺に属する寺院である。
創建は古く、文永四年(1267)、亀山天皇の勅願によって建てられた。
開基は承和5年(838)に真慧律師。
宝巌寺の名も「天皇能作障玉此ニ蔵ム。故ニ宝厳ノ名アリト言」う。

本尊子安地蔵菩薩は小野篁作で50年に一度のご開帳。
「阿保村地誌」によれば、承和五年(838)に真律師が開基となって開山したとするが、いずれも信憑性に欠ける。
宝巌寺が、確かな史料の上で最も古い歴史を披露するのは「伊賀史概説」(早瀬保太郎)に引用された
「持戒清浄印明」(神奈川県立金沢文庫所蔵文庫)のなかである。
それを要約してみると、のちに称名寺(現横浜市金沢区)の第三世となった僧湛睿が、
正和三年(1314)に伊勢神宮参拝の途次、阿保庄の地蔵堂に宿を借り、そのとき寺主だった玄海上人に
持戒清浄の印明を授けた、というものである。
ここに出てくる阿保庄の地蔵堂が宝巌寺のことで、つまり当寺は、少なくとも鎌倉時代末の正和三年には
存在していたことがわかり、青山町内でも古刹に数えられる寺院である。


2月下旬から3月頃まで老梅が見頃を向えます

銀杏のじゅうたんの上に佇む地蔵


地蔵堂の名は、宝巌寺が地蔵菩薩像を本尊としていたことから、この別称で呼ばれていたものと思われるが
当地方における地蔵信仰の中心地であったこともうかがわれ、地蔵形の石仏が多く
山内にのこされていることも往時を物語っている。
当寺は和泉国久米田寺(現大阪府岸和田市・行基が開いた四九院のひとつ)の末寺であったといわれ、
天正伊賀の乱の兵火に遭うまでは、黒田寺、安田寺、道仙寺、長尾寺、来迎寺、岩間寺の
六子院があったというが、現在はその跡はない。

参考文献 伊賀百寺 和田 忠臣ほか編



真言律宗 宇霧須山吉祥院 宝巌寺  〒518-0222 三重県伊賀市寺脇803  TEL 0595-52-1033