真言律宗 宇霧須山吉祥院
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文化財

  国指定重要文化財 十一面観音立像
平安時代の作と推定され、椎(しい)の一本造りで頭部には十一面の小仏を頂く、豊顔木眼の荘重な彫像である。
この仏像はもとは阿保の大村神社別当(神宮寺)だった禅定寺の本尊であったようで、いつごろから禅定寺に伝来していたのか明らかでない。しかし、地元の伝承によると天正7年「天正伊賀の乱」による兵火のとき里の人々が田圃のなかにこの仏像を埋めて守り通したといい、この時期以前には伝わっていたことが推測される。
宝巌寺に移されたのは、明治3年、神仏分離が行われたときのことで、禅定寺が廃されて同じ宗派だった当寺に迎えられた。 
  「伊水温故」には昔は瓦葺の本堂、三層塔、護摩堂、鐘楼、楼門等があって、寺領七百石あったが天正の信長の兵乱に焼失したと載せられている。当寺は境内及び裏山には室町時代の石仏、五輪塔、光背五輪塔等数十基を存する。伊賀地方の石仏、五輪塔、層塔類は慨ね大和地方の系統をひくもので昔から伊賀の石工に志摩大工と称せられて、伊賀には伊賀特有の花崗岩が産出せられるので、自然文化財に指定せられる石造遺物が多く残されている。
左写真は北向き地蔵尊とお大師さん、庚申。 
  南北朝時代から天文年間にかけて造られた石仏群や馨、馨台があり、青山町指定文化財になっている。
左写真は弘治三年 十三仏 ほか
   


石仏

南北朝時代から天文年間にかけて造られた石仏群があり、伊賀市指定文化財になっている。

経本

禅定寺から移されたもののなかに、大般若経六百巻写経本がある。
神仏分離令の混乱期に危うく転売されかけたが、宝巌寺の檀家たちの尽力で無事確保されたという美談がのこっている。



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