金光教祖の修行の中身   近藤正明

 今年は11月に入り、秋を通り越して初冬の気候が続いている。この頃になると、一つ思い出す教祖のエピソードがある。
 金光教祖は、取次に専念するようになる前年の晩秋(1858年10月)、神から「金乃神の一乃弟子として取り立てる」として、次のような知らせを受ける。『一乃弟子として秋中、行をせよ。朝起きて衣装を着替え、広前へ出て祈念をし、すみしだい妻に膳を据えさせ、食事をせよ。その後ですぐに衣装を着替えて裸足で農業へ出よ』
 教祖はこの前後、神から様々なおためし(修行?)を受けていた。例えば、「木にぶらさがって、右手を離せ。次に左手を離せ」当然教祖は地面に転落して尻もちをつき、痛い目に遭う。あるいは「今日は玉島(金光の東の隣町。現在倉敷市玉島)まで歩いて行け。金が落ちておるから、それを拾うて戻れ」玉島までの道のりを気をつけて歩いていくが、一文の金も落ちておらず、家に戻る。しかし、どんなにばかげたような、一見無意味と思える神のおためしを、教祖は決して逆らうことなく、知らせ通りに行動した。そして、どんな結果になろうとも、不足をいうどころか、ひたすら神の言葉を信じ続けていくのであった。そんな教祖にとって、「裸足で農業へ出よ」の知らせは、大変な試練となる。
 旧暦の10月と言えば、大変朝晩冷え、霜の降りる日さえある。裸足で農業へ出ることによって、足の裏を鍛えさせる意味があったのだろうか。いや、そんなことはない。今までの神からの無意味と思えるおためしとは、少し意を異にしていた。
神の言葉に逆らわず、忠実に守るべく、裸足で門を出ようとした時、妻が猛然とした態度で、教祖を止める。「なんぼ神様のお知らせじゃからちゅうて、そんな裸足で外へ出ると人が笑います。『文さ(教祖のあだ名)は神さんばかり拝んで、とうとうわらじもよう作らんようになったのう』と。恥ずかしいけん、(裸足で外へ出るのは)やめてください」今まで、神の知らせを直に受けるようになって、それに逆らうことなく守ってきた教祖は大変困った。『神の知らせに背くわけにはいかないが、妻の言うこともわかる』そこで教祖は、「わらじを鍬の先にくくりつけて、持っていく」という行動をとった。そして神の知らせも立て、妻の面子もつぶさないようにしたのである。道中、村人が理由を尋ねると、「霜やけで足が腫れてわらじがはけんのじゃ」と笑いながら話した。
 裸足で外を歩くという行動が異常であることは、現代も当時も同じで、裸足で歩かせることを目的にしているのでないのは明白である。当然家族は、裸足で外へ行こうとする教祖を止めるのは予想できる。ではこの「裸足の行」で、神が教祖に求めたものは何であったか。
「裸足で農業へ出よ」という神の知らせに従うかどうかは、教祖の『信仰の世界』でのことであり、「裸足で外を歩くことは恥ずかしいこと」と考える家族の思いは、「世間一般の俗世界」のことである。この二つの厚い壁を、教祖がどうぶち抜くか、という命題が与えられていたのである。それを教祖は、「わらじを鍬にくくりつけて持っていく」という見事な解決法でもって乗り越えたのである。
 『この方の行は、火や水の行ではない。家業が行である』というみ教えは、長年農業を糧として人一倍誠実に働き続け、また神と出会ってから取次に専念するまでの期間、日常生活の中で修行をこなしえた、教祖の信仰すべてが凝縮された教えであると思う。
 私たちは、家庭や職場でさまざまな困った場面に出会う。そこでまず大切にしなければならないこととは何か、見いださなければならない。それを『家業を行』つまり修行と心得て、乗り越えていかねばならない。
 来年は教祖120年のお年柄を迎えるが、この時節に様々な教祖様の事跡を追って、あらためて自分自身の信仰を見つめ直して行きたいと思う。

【「和らぎ」119号(平成14年11月)巻頭言】

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