1月号のパズルの解答にかえて   近藤佐枝子

 今年は、教祖120年のお年柄であると同時に、名張教会開教80年の節の年なので、新年のパズルも、少し趣向を変えてみました。これを機会に、直信の先生方の信心を振り返らせて頂くのもいいかなと思い、あんなパズルを作ってみました。ここで、パズルに出てきた語句について、簡単に解説させて頂きたいと思います。

 六条院教会を開かれた高橋富枝先生は、教祖様から金照明神というご神号を頂かれた方です。女性の生神として、女の道は女で開けよと、数々の女性特有のみ教えを教祖様から頂いています。神様にどこどこまでも尽くし、妊娠、出産のなかでも、休まずにお取次のご用に立たれました。ご裁伝の中に、「金光大神、金照明神は天地のごとく差し向かいである。その方は、諸国に女の道を開けよ」とあり、教祖様と向かい合わせの向きで、お取次のご用につかれました。今でも、六条院教会の結界は、向かって左側にあります。教祖様のもとへの初参拝の年は1858年頃ということで、正確にはわかっていません。

 片岡次郎四郎先生は、1868年大森うめという方に伴われて、教祖様のもとへ、初参拝されました。それから教祖様をしっかり頂かれ、教祖金光大神そのままの信心と言われた方です。教祖様より「みきを供えて祈れ」とのみ教えを頂き、その後みきとは、ありがたき、おそれおおき、もったいなきと仰せられ、それを信心の柱とされました。才崎金光大神とご神号を頂かれ、才崎教会を開かれました。尋求教語録は、お孫さんが、片岡次郎四郎先生が教祖様から頂かれたご理解を中心に、編集されたものです。

 岡山に生まれた白神新一郎先生は、42才の厄年に眼病にかかり、数々の神仏参りをされましたが、失明にいたってしまいました。52才の年に初めて、金光大神のみ教えにふれ、1870年1月、教祖様の御広前に初参拝され、直にみ教えを頂きます。その年の12月に、晴目のおかげをいただくのです。次の年の3月には御道案内を著し、この御道を世に伝えようとされました。その後、日本国中にお道が伝わることを願い、人の集まる大阪の地に布教されます。そして大阪教会を開かれたのです。

 近藤藤守先生は幼い頃に、17才で非命、25才で天命といわれていました。25才の年に予言通り大病にかかり、いよいよの時に白神新一郎先生のお広前に参るご縁を頂きます。白神新一郎先生よりたくさんのご理解を頂き、大病全快するのです。1881年、27才の年に夫婦で教祖様のもとへ初参拝されます。その年に難波教会を開かれます。その後も教祖様のもとへ足繁く参られ、数々のみ教えを頂いています。近藤藤守先生は中でも、心配りの信心を貫かれました。それは、すべての事柄、物、人に対して行き届く稽古をし、それを通じて神心を頂いていく。その結果、天地の中に生かされていることを、いかに実感していくかということなのです。その後も、教祖様への思い、白神新一郎先生の遺志を継ぐ、一心で布教を支えていかれるのです。

 以上、簡単ですが、解説させて頂きました。このお年柄に改めて、直信の先生方に触れる事が出来て、本当にありがたく思います。なお一層、信心の稽古をさせていただきたいと願っています。

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