人のせいにしない       近藤佐枝子    


 先日、友達と話していると、その友達がふと、こんなことを言っていた。「私はどんくさいから、よく人からきついことや、いじわるな事を言われるねん。だけどああこの人はわたしのことが好きだから、こんな事を言ってくるねんなと思ってるねん。」たとえ、それに傷ついても、自分のことを思って言ってくれていると言い聞かせることで、相手を嫌いにならずにすむというのである。結局、ここなんだろうなと思う。何事もいいように受け取る稽古。悪意に悪意を持って接すれば、悪意が2倍になるけれども、こちらが善意を持って返せば、相手の悪意より自分の善意の方が強ければ、結果的にそこに悪意は生まれないし、相手の悪意もなくなっていくのではないかと思う。その友達はとても友達が多いのだが、日頃のそんな姿勢がまわりの人に伝わっているんだなと思う。
 自分の身の上に起こってくる、人間的にみてマイナスのこと(神様からみたらプラスのことかもしれないから、あえて人間的にみてと書いてみました。)を他人のせいにする人が多いのが現状である。誰々のせいでこうなったとか、誰々がこう言ったからこうしたとかそういう話をよく耳にする。そんな人は結局、相手の善意をも悪意に変えてしまう人である。でも悪意を善意に変えてしまえる人は、きっとそんなことは言わないだろうし、いい勉強になったと、感謝の気持ちをも持てるんじゃないかと思う。私は、後者でありたい。今は、悪意をたくさん持った人間かもしれないけれど、そんな思いかえをする稽古をしたい。人のせいにしない稽古。大切にしたいと思っている。
 最後に報告をひとつ。
名張市人権・同和教育推進協議会という組織がある。その中に宗教部会をつくるということで、入会のお誘いを受け、それに同意し、11月28日、設立準備会に正明先生の代理で出席させて頂いた。私は今まで、人権問題や、同和問題に深くかかわったことがなく、学生時代に勉強した程度で、この機会に勉強させて頂こうと思った。
色々な宗教の方々が集まってお話をさせていただくので、他の面でも勉強になると思う。今後も積極的に参加させて頂き、そこで得た物を皆さんに少しでも、還元していけたらと思う。お祈り添えをお願いします。

【「和らぎ」
120号(平成14年12月)巻頭言】

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