|
編集子
夫婦の年齢あわせて100歳以上なら、日本国中どこへでも片道1万円で・・・そんな航空会社の特典を利用して、宮沢賢治のふるさと岩手県花巻市と、柳田国男の民話の世界、遠野市を訪ねました。
来年の子供の自然保護教室の取材旅行です(言うほど大したことはありませんから、そこのところ、ひとつよろしく)
|
賢治先生のふるさと花巻 |
|
羅須地人協会活動の拠点であった宮沢賢治の住居は人手に渡っていましたが、賢治先生が教鞭をとった花巻農学校(今の花巻農業高等学校)が現在の地に移ったとき、偶然にも、その新しい敷地内に、ほぼ完全な姿で建っていたのです。
(ほんとに不思議な巡りあわせですね)
賢治先生の家は、花巻農学校精神歌の碑とともに、学校のシンボルとして大切に保管されています。
住居前の庭で拾った、ドングリとマツボックリ
|
 |
私が高校一年のときでした。はじめて【永訣の朝】【松の針】【無声慟哭】を読んだ日の鮮烈な印象は忘れえません。(ユニークな教師がいらして、教科書になかったこれらの詩を、ガリ版刷りのわら半紙で配ってくれました)
あの日から、だいぶんと年月は経ってしまいましたが、宮沢賢治記念館、イーハトーブ館、イギリス海岸、賢治詩碑・桜地人館、身照寺・賢治の墓、やぶ屋総本店、林風社など、ゆかりの地を歩くことができました。
やぶ屋総本店では、賢治先生の大好物、蕎麦とサイダーの組み合わせもいただきました(美味しかったよ・笑)。とても良い旅でした。
|
 |
遠野では、南部曲り千葉家、とおの昔話村、伝承園、常堅寺、カッパ渕、遠野風の丘などを訪ねました。
昔話村の一角に事務所を構える『遠野物語研究所』で、所長さんと少しく歓談させていただきました。
私は『遠野物語ゼミナール2001』講義記録、動物のフォークロア【遠野物語と動物】を、カミサンは【遠野の昔話】数冊を購入しました。 |
|
『人間と神、人間と人間、人間と自然の生き物、この三者は相互に対立するものであるが、対立の前提には相互間のつよい親和力があることを見のがすことはできない。
では敵対者間に親和力にみちた世界が成立するのはなぜか。それは神や人間や精霊や動物たちがめいめいばらばらに住むことの不可能な世界が、これまでつづいてきたからであるーーー谷川健一著【神・人間・動物ー伝承を生きる世界】(1975年・平凡社)』・・・・・・遠野物語ゼミナール2001年度、基調講義【柳田国男のまなざし】(後藤総一郎)より抜粋
昔は、野生生物と人間とは、今よりもずっと身近な関係でした。クマ、サル、シカ、イノシシなどは、人間の生活圏に深く入り込んでおり、農作物の被害も今以上に深刻であったはずです。
多くの野生生物が自由に暮らしていればこそ、猟師の生業が成立していました。農民は被害に遭いながらも、猟師から山の幸を手に入れ、そして人々は、豊かな恵みを与えてくれる森を守り、山の神を畏れ敬い、感謝の念を捧げました。
このように自然を舞台に織りなされる、山の神と野生生物と猟師や農民とのぬきさしならない関係から、多くの民話が生まれ語り継がれてきたのです。
しかし、私たちは人間の利便性だけを追求するあまり、山の神や野生生物との、とうとい命の絆を断ち切ってしまいました。
わくわく和尚さん(福島県・天性寺、木町副住職)のお便りによれば、今年、福島県ただ一県で殺されたツキノワグマは193頭にもなるそうです。日本全体では、それは恐ろしい数になるでしょう。
宿泊した鉛温泉で、日本一深い岩風呂の縁につかまりながら(ほんとに溺れそうでした・笑)、釜石漁業組合の方とツキノワグマ保護について語り合いました。
かつて宮城県で、カキ養殖のために植えられた【魚付きの森】が大きく育ち、とても良い効果を生んでいるそうです。こういった運動がますます広まり広葉樹の森が復活すれば、野生生物の住処も増えます。
やっと2005年度から、白神山地が鳥獣保護区(ごく一部ですが)に指定されるという話も伺いました。
この旅で得たことを生かし、すべての子供たち誰もが持っている野生生物を思いやる素直で優しい心根に、何かしらの膨らみが生まれるような新しい絵本・紙芝居を仕上げたいと思っています。
|
|