嗚呼、君よ何処へ行く。
それは漸く一筋に整えられた縒り糸をぷつりと断つ行為。





0006/逃げろ!






ざっざっざ。
何処まで、行く気なのだろう。
周りはもう既に朝の光に支配されているのが窓ガラス越しに判った。
は疲れていたし、また眠たかった。
肌寒い。
耐熱のマントからは一切の温もりも失われていた。
さっきまで、嗚呼さっきまでこんなに近くに居たのに。
温かかったあの翼。
雄大な美しくも眩しい姿。
だけどそれは最早の手の届く範疇には無かったのである。
まだ出逢って一週間足らずだというのに、こんなにも心の中に入り込んでしまったあの人は。
何処に居る?
何をしている?
目の前の背中を睨みつけながら、は震える手で自らの体を抱いた。
「・・・
・・・嗚呼。
名前を呼んでもその姿を見ることも叶わない。
・・・」
誰か。
誰か。


話は数時間前に遡る。
宿の一つベッドの中、疲れていたはぐっすりと眠っていた。
その温かな体温はを温め、抱き寄せた柔らかな感触は安らがせた。
浅く停止する思考。
だけど、それは直ぐに覚醒へと導かれてしまった。
不穏な空気が段々色濃くなって体に纏わりつくのを感じる。
覚えのあるそれには眉根を寄せた。
「・・・」
馬車が燃えた時の、あの嫌な空気。
また炎でくるなら問題ない。
に炎は効かないから。
しかし水であれば厄介だ。
体を緊張させて気配を探る。
まだ、扉の前に誰かが居るというわけでは無さそうだ。
やおら体を起こし荷物を持つ。
するとベッドが動いた所為であろうか、それとも温もりが無くなった所為であろうか。
「・・・・・・・・・?」
小声で名を呼ぶ声がする。
「・・・何か来るぞ」
「・・・」
飛び起きての持つ荷物を一つ手に取った。
一体何だというのだ。
街中は確かに治安が悪くなっているとはいえ、宿屋で襲われるなどと。
それもこんな普通の宿で。
だけど考えている暇も無い。
は荷物の中にあるマントを急いで羽織った。
それは昼にが買っていたもので、真新しく丈夫そうだった。
「来い」
「っわ・・・!」
を掴んで抱き上げた。
そして窓を開け放つ。
眼下に地面は酷く遠く見えた。
夜の闇が支配したその世界は落ちれば飲み込まれてしまうのではと錯覚するほどだ。
飛行タイプゆえの身の軽さには自信があるし、怖くは無いけれど。
・・・っ」
の声と同時に部屋が明るくなった。
見ればベッドの上には赤々と炎が揺らめいているではないか。
馬車のときよりはかなり規模が小さいが。
続いて窓際の敷物がぼわっと燃えた。
ちっとは舌打ちし窓から身を乗り出した、その瞬間。
――――バァン!!!
物凄い音を立てて部屋のドアが砕け散ったかと思うと闇に溶け込むかのような黒いローブの人間がざあっと部屋に入ってきた。
「きゃぁっ・・・!!」
それは、全て一瞬のうちに起こったこと。
そのもの達が雪崩れ込んできたのも。
窓から爆炎が噴出したのも。
が窓から飛び降りたのも。
が一体どれに対して悲鳴を上げたのかは判らない。
一瞬で何が何だか判らなかった。
だけど続いて炎の球がどんどん降って来る。
焼けた石の様なものが炎を纏って落ちてくるのだ。
素早く避けるが数が半端じゃない。
兎に角姿が隠せるような、森の方へ。
道路では狙い撃ちにされてしまう。
・・・っ、これ、古代魔法だ・・・!星がこっちに向かって降ってきてる・・・!!」
「チィ・・・ッ!!」
敏捷なつもりだけれど多勢に無勢といったところか。
唯の炎ならば避けずとも殆どダメージは無いが、石があるなら話は別だ。
石なんか食らったら大ダメージは必至である。
裏庭から木々の間を縫って走るが、星たちは目があるかのように追いかけてくる。
「クソっ・・・この体じゃ・・・」
ポケモンが人型をとることでメリットもあれば、デメリットもある。
ファイヤーの場合は人型をとることで回避率と敏捷性があがるが、耐久性が大幅に落ち浮遊特性がなくなってしまう。
回避率があがるのは単純に的としての自分の体が小さくなるからで、耐久性が落ちるのも同じである。
つまり人型のときに50センチ四方の石を受ければ獣型の時よりも体が小さい分ダメージが大きいというわけだ。
「元の姿になれりゃこんな小石・・・!」
の言葉を受け、はぱっとマントのフードを被った。
そして。
「いいよ!戻って!!」
「っ、何言ってやがる・・・!前言った説明覚えてねぇのか!!」
「大丈夫、このマント耐熱性なの!!安物だから10%カットしかしないんだけど魔力込める事で95%カットまでいけるから!魔力コストギリギリまで飛んで!!」
「何・・・!?」
の言葉の後半の意味が良く判らないものの、熱に耐えられるならば不可能ではない。
は走りながらもゆるやかに自分の姿を思い出す。
怯えられる事は無いだろうか。
ややの不安は残るが追いかけてくる星を振りきるにはもうそれしか手段が無さそうである。
「・・・あ、」
の体が形を変えるのを感じた。
それは殆ど一瞬。
が地面を蹴り上げると同時に翼が広がり、既に彼の背中は人間のそれではなかった。
大きく広がる翼は確かに灼熱の炎で形成させている。
仄かに温かく感じたのでやはり普通に彼の背に乗ることは出来ないのだろうということを実感した。
「・・・すごい・・・」
そこだけ太陽が出たかの様な明るさである。
は目を見張った。
こんな真夜中に目立って仕方が無いが、はヒュウゥンと翼で風を切ると襲い来る星を追い抜かし空中旋回をすると逃げてきた方へと向かう。
何故だろうかと一瞬は首を傾げた。
泊まっていた宿屋にはローブの人間がたくさんいてこちらを見上げているようだった。
それすら一瞬に追い抜いて街の反対側へと飛び去って行く。
すると何故だかぴたりと星が止んだ。
「・・・え、何で・・・星が止んだの・・・?」
「こっちは街中だからな。流石に出来ねぇんだろ」
「あ・・・そっか」
成る程、今逃げようとしていた方は姿を隠せる森の中。
人も民家も一切無い。
だけどこの姿では隠れることも出来ないからと、は街の方へ向かっていったのだろう。
きっと逃げ切る自信もあったのだ。
「・・・それにしても・・・凄い、姿だね」
「・・・」
それは、一体如何いう意味で。
「あたし、こんな太陽の化身様を召喚したんだ・・・」
何処か浮き足立って言うは多少の畏怖も混じった声でそう言った。
溜め息を吐くような感嘆も含んでいるようだった。
「そんなんじゃねぇよ」
「ううん・・・凄い。夜の闇の中でこんなに輝いてる。温かくて・・・ずっとこうしてたい」
ぎゅっとの長い首に抱きつきながら。
も同じ気持ちだと思った。
だけど。
「でも・・・ごめ、あたし・・・そろそろ魔力が・・・」
苦しそうな言葉にはぎくりとする。
そういえば腕の力も随分弱々しい。
「何処か、降ろし・・・て」
はぁはぁと荒い呼吸を繰り返すはすぐさまその場に下りる。
そして人型に戻った瞬間、がずるりと崩れ落ちた。
慌ててそれを受け止める。
小さな体は地面に倒れる前に抱きとめられ、何処も打つ事は無かった。
「おいっ、大丈夫か・・・!?」
「ん・・・何とか・・・。少し休めば、大丈夫・・・」
だけどぐったりと力の抜けた足が動かない。
幸い街からは少し離れた森の中。
朝になって明るくなってから動けば遭難もせずに街まで行けるだろう。
危険がありそうならもう元の街に引き返せば良いのではないかとは思い始めていた。
もう、元の世界を諦めてもいいじゃないか。
この女、がいればいいじゃないか。
この世界にはボールこそ存在しないが、既にのボールになら入ってやってもいいと思い始めていたのである。
木の根元に腰を下ろし浅く呼吸するを抱いて木にもたれかかった。
「・・・ごめん・・・」
「何で謝ンだよ」
「何となく・・・。あたしの所為で面倒なことに巻き込まれちゃってるし」
僅かなりとも責任を感じずにいられなかった。
「別にお前の所為だなんて思っちゃいねぇ」
「・・・でも」
「俺がいいっつったらいいんだよ。気にすンな」
「・・・、・・・うん」
納得はしていないようであったが、は頷きそして少し身じろぎした。
その体が少し震えていることに気付いた
それが寒さからなのか恐怖からなのかは判別出来なかった。
「・・・寒ィか」
「・・・・・・少し」
体温を上げてやってたつもりなのにな、と思いが耐熱のマントを羽織っていたことを思い出す。
「阿呆、これ着てっからだろ」
「・・・あ」
そっか。
と、が納得するよりも早く、の手がのマントをするりと脱がせていた。
何かを意図した風ではなかったけれど、一瞬にしての頬が赤く染まる。
夜だったのでには見えなかったが。
「これで寒くねぇだろ」
「う、うん・・・あああありがと」
男に脱がされる、というそんな行為自体初めてのは思わず上擦った声で礼を言う。
「なぁ・・・」
「なななな何!?」
「・・・お前さっきから変だぞ」
いちいち緊張しているに首を傾げてを覗き込んだ。
初めて見たときは血のようだと思った赤い髪も、今は夜の闇の中黒く光るのみである。
だけど瞳は吸い込まれるような紅水晶の色であることが良く判る不思議ないろ。
そしてそれが思いのほか真剣にを見下ろしているのである。
「・・・なァ、俺思ったんだけどよ」
「う、うん・・・」
「危ねぇようなら・・・帰るか、お前の家に」
「・・・え・・・?」
思いも寄らない言葉には目をぱちくりさせる。
「・・・もう、俺元の世界諦めても良いぜ」
「・・・そんな・・・」
急に如何したというのだろう。
あんなに焦がれた瞳で元の世界を語っていたのに。
この世界では彼の故郷にはなれないというのに。
「だって、あんなに帰りたがってたのに・・・!」
「・・・そりゃ、あっちの世界には帰りてぇさ」
「だったら!」
望郷の念が消える事は、きっとない。
「良いんだ。俺は、俺は・・・お前のボールになら入ってもいいと思ってる」
「・・・えっ」
それは話してくれたパートナーのことだろうか。
認めた人間のパートナーとなってボールと呼ばれるマジックツールのようなものに入る。
それがのいた世界の常識だとか。
「この世界にはボールはねぇけど、もしあったら・・・お前のボールに入ってもいいと思ってる」
穏やかな声であやすかのように言われを緩やかに見上げた。
暗闇に溶け込んでいてしっかりと確認は出来ないが、声と同じく穏やかな表情が見えた。
少し何かを懐かしんでいるようにも。
「それって・・・あたしをのパートナーにしてくれるって、こと・・・?」
「おう」
てっきり、嫌われていると思っていた。
認めてなんて貰っていないと思っていた。
自分が彼を大切だと想いだしたように、想ってくれているなんて思わなかった。
「・・・・・・嬉しい」
頬をピンク色に染めて恥ずかしそうにが笑う。
そんな歓喜の笑みを見ると僅かに胸が苦しく、しかし温かい気分になった。
嗚呼、この気分をなんて表現して良いのか判らない。
「・・・明るくなったら、帰ろうぜ」
「・・・でも」
「いいから。俺が良いっつったら良いんだよ」
同じ言葉をもう一度繰り返して笑うは、この何日間かで一番優しい表情での髪を撫でた。
そして何度も愛おしげに繰り返す。
免疫の無いは如何して良いか判らず、唯唯少し困ったように大人しくそれを受けていた。
「・・・なァ
「えっ、うわ、はい」
名前を呼ばれて更にビックリする。
数日の付き合いだけどまともに名前で呼ばれたのは初めてだと思った。
「俺の連れになるっつーことはこういうことだぜ?」
「え」
すっと顎を掴まれて上を向かされたかと思うと。
ふわ、と柔らかい感触を唇に押し付けられた。
それがの唇であるということが一瞬理解できず、凄く近くなった顔にどきりとして。
口吻けられたことを理解した瞬間に頬がこれ以上ないくらい熱くなったのが判った。
「っ・・・」
それは触れるだけだったけれどとても長いようで短いような。
がゆっくりと離れた時も顔を真っ赤にしてただ呆然としか出来なかった。
「他の男にゃ一切触れさせねェ。もう俺のモンだ」
「・・・な、に・・・勝手言って・・・」
嗚呼上手く言葉すら出せない。
何を言っても意図を絡められず舌の上を上滑るそれは言葉というよりは最早音。
混乱するを強く抱きしめ、はこつんと額をくっつける。
「仕方ねぇだろ。お前が他の男と仲良くするなんざ嫌なんだからよ」
「・・・いや?」
「ああ、嫌だ。俺を一番に考えろ。何を差し置いても俺だけだ」
何か勝手な事を言っている。
だけど、嗚呼だけど。
「・・・うん、判っ、た」
こくりと頷いて了承する。
だってこんな身勝手なことを言われているのに何故か嫌ではないのだ。
いや、寧ろ嬉しくすらある。
一番に考えろ、それは独占志願。
独占されたいと思ってくれているということだ。
の了承を見て、目に見えてはほっとしたような表情になった。
そしてまたゆるりと髪を撫で、顔を近付けられる。
今度こそ明確にキスをされると判り、は如何して良いか判らず慌てて目だけを閉じ。
ふわりと交わされた瞬間、自分でも驚くほどに鼓動が跳ね上がったのが判った。
ぎゅっと強く腰を抱かれ腕の中では体を硬くする。
「っ、・・・」
「ンなに緊張すんなよ」
離れたが困ったような苦笑いを浮かべている。
「だ、だって、今まで男の子とこんなことしたことないもん・・・」
「・・・へぇ」
じゃあ、と腰に巻きついたの手がそっとの体を弄った。
「や!ちょ、何処触って・・・!」
「いいだろ?これからお前に触れるのは俺だけだしな」
若しくは俺のメガネに適った奴、などと軽口を叩いての首筋に顔を埋めた。
唇が首のラインをなぞってぞわりと肌が粟立った。
「やンっ、・・・っ、こんな時に・・・!」
だけど緩やかに戒められる体を振り解こうとはしない。
本気で嫌がればはきっと止めてくれるだろう。
それを何となく理解しながらは抵抗らしい抵抗はしなかった。
「本気で嫌じゃねぇよな。そんな声出してよォ」
「あっ、やァん・・・っ」
の手がそっと衣服を捲くり、入ってきた。
恥ずかしそうに、しかし抵抗はせず。
それどころかの首に腕を回して精一杯了承の意志を示している
一層可愛く思いはその背を優しく抱きしめた。
「・・・ん、すき。が・・・好き」
抱き寄せたら耳元で小さな告白が聞こえる。
その声は今まで聞いたどんな女のそれよりも甘くて優しくて。
久しく覚えなかったケダモノの劣情が込み上げてくるのを感じた。
「・・・俺も」
好きだ、と素直に伝え欲の熱を分かち合おうと思い至った瞬間。
の言葉よりも一歩早く。
空間が捻じ曲がった。
歪曲してゆく景色を一瞬遅れで驚き、は更に戦いた。
追っ手か。
如何する。
最優先事項は。
一気に色んな事を考えすぎて景色が嫌にスローモーションで。
歪曲した空間がざぁっと裂け闇より暗い口を開ける瞬間さえ10秒にも20秒にも感じた。
思わず、を突き飛ばしていた。
何を考えるよりも最優先はの安全。
「逃げろ!」
闇に呑まれながら大声で叫んだその言葉が届いたかどうかは判らない。
の顔を、突き詰めて言えば無事を、確認するより早く闇が口を閉じてしまっていたからだ。

「え・・・?」
何が、起こった。
今の今まで自分を優しく抱きしめてくれていた腕は、既に空間に食われてしまい跡形もない。
突き飛ばされたところがどくんどくんと脈を打っているような気さえする。
何が起こったのだ。
・・・?」
逃げろと彼は確かにそう叫んだ。
でも何処へ。
落ち合う場所も決めていない。
それよりもが何処へ言ったかが判らない。
たった一人で逃げろというのか。
「嫌・・・!?・・・!?」
一心不乱、狂ったように辺りを探せど勿論居るはずも無い。
暫らくして多少冷静になってからは肌寒さを覚えて耐熱のマントを羽織った。
まだ覚えている、の雄大な姿。
太陽の化身かのような輝く姿を。
何があったのだ。
空間が裂けてを飲み込んでしまった。
あれは一体どういう魔法なのだろう。
恐らく移動魔法の応用か何かであろうかとは予想がついたが、その割りには魔力を感じなかった。
兎に角朝を待とう。
明るくならなければ森で遭難してしまうかもしれないし。
だけど居なくなったのことが気になって気になって気になって。
は後ろから忍び寄る人間に全く気付かなかった。

不覚。

それは正しく、二人に言えたことであろう。




そして冒頭に戻る。
は目の前を案内するように歩いている男の部下に捕まったのだった。
を古代魔法で執拗に追い掛け回した黒いローブの魔法使い達がそうだった。
心配する余り注意がおろそかになってしまい後ろから押さえ込まれ移動方陣で連れてこられた先は学術総合研究所。
また逆戻りだと思ったがもしかしてトラウゴットに出会うことが出来たなら助かるかもしれないという僅かな望みにかけながら。
唯、温もりの失われたマントの上から自分を抱きしめる。
「・・・・・・」
最後に彼の叫んだ言葉を遂行できなかったことを悔やみながら。






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ファイヤーがマントを脱がしたとき、自分としてはもう全部脱がせたくてそれを我慢するのに必死でした。