悪い、夢・・・だ。
そうだ、目覚めれば現実という概念に引き戻されてこんなことは忘れられる筈。
早く目覚めなければ。
早く、はやく。
0001/悪夢
じゃらりと鎖の零れ落ちる音がした。
嗚呼、まだ自分は生きているのか。
生かされているのか。
僅かに口を開けたら乾いた舌がだらりと垂れた。
枯れた喉がひりひりする。
熱い、痛い。
霞む視線の先に最早何も見えなかった。
否、何も見えないわけではなかったけれど。
それが如何と言うのだろう。
最早動きはしないそれを、感情も無く見つめるのみだ。
「・・・ァ・・・」
呼吸さえも痛くて、呻くような声を出す。
殆ど声にもならない掠れた声。
嗚呼、嗚呼。
ただ早くそのときが来れば良いと思っていた。
早く、はやく。
そんな時、歌声が聞こえた。
最初は聞き間違いかと思ったけど、段々と力を増しはっきりと聞こえ出すそれに力なく顔を上げる。
何処から、聞こえてくるのだろうか。
空からでもない、ましてや地の底なんかでもない。
唯酷く安堵させる歌声に当惑しながら目を閉じた。
こんな幻聴が聞こえるなんてどうやらとうとう最期の時が来たらしい。
だけど最期の最後でこんな気分になれるなら。
死というものは案外悪いものでも無さそうだ。
これでゆっくり眠る事が出来るではないか。
さあ帰ろう。
灼熱の太陽、晴れ渡る空へ。
輝く焼けた大地を見下ろしながら悠然と虹をくぐって。
遥かなる世界の果てへ。
悪夢、だった。
だけど目覚めても悪夢が続いている事に変わりはない。
結局なんら変わりないこの世界で唯生きて行くしかないのだ。
同じ明日が巡るのを待って、同じ夜を見送って。
それが一生続くのだと思っていた。
だって何の能力も、才能も無い自分なんか生きていたって仕方ないのだから。
生きる為にだけ生きて、時が来れば死ぬのだろう。
人間なんてものは所詮そういうものが大半であり、目的を持ったものは極僅か。
そして自分はその僅かの中から落ち零れた内の一人なんだ。
巡ってきた朝に何を感謝するでもなく、いつも通り窓のカーテンを開ける。
緩く柔らかい朝の日差しが窓を付き抜け陽だまりを作った。
そんな、いつも通りの日常に。
突然目に飛び込んできたのは見慣れぬ人間の姿。
鮮やか過ぎる赤が飛び散って見え思わず悲鳴を上げそうになる。
「っ・・・!!か・・・髪・・・?」
何とか悲鳴を飲み込んでよくよく目を凝らしてみれば、それは髪の毛のようだった。
燃えるような赤くて長い髪。
うつ伏せに倒れている為に顔は確認できない。
発見してしまった以上このまま放っておくわけにもいかないので、彼女は窓を離れ玄関に向かう。
「・・・ねえ、ちょっと・・・!」
意識を失っているか、悪くすれば死んでいるのではと思い大声で声を掛ける。
抱き起こして軽く頬を叩きながらもう一度。
「ちょっと!大丈夫!?」
すると僅かに瞼が震えたかと思うと薄っすらと目を開けた。
「・・・しに、がみ・・・か」
「ハァ!?ちょっと、何言って・・・!」
抱き起こした瞬間に男と知れたその人間は彼女を死神と言うと僅かに笑みを浮かべ、また目を閉じる。
それは一種安らかな死に顔にも見えたが、不規則ながらも胸が上下しているので死んではいないと判りほっとした。
そして改めて男を見下ろし、彼女はまたしても悲鳴を上げそうになる。
「っ・・・何で・・・夢の、筈じゃ・・・!」
見下ろした男は確かに見覚えのある男だった。
だけど。
あれは、夢で。
だって自分には何の能力も才能も無くて。
生きるために生きて死ぬ時に死ぬような人間だから。
だから、そんな筈は。
・・・嗚呼、これは悪い夢だ。
早く目覚めなくては。
早く、はやく。
「寝惚けて召喚しちゃったのかな・・・」
あの後目を閉じた男は、叩いても揺すっても声を掛けても目を覚まさなかったので苦労して家の中まで引きずって、何とかソファに寝かしつけてやった。
後で医者も呼んでやらなくてはいけないだろうかと思いつつ、男の出現を思い遣る。
「・・・でも人間が召喚されるなんて聞いたこと無い・・・」
確かに男は夕べ見た夢の中で彼女が召喚した男である。
何かおぞましい空間だった。
何故自分はそんなところにいたのだろう。
その理由は覚えてはいない。
だけど自分は無我夢中で魔法陣を描いていた。
そこにいる事が生命を冒涜しているような、そんな空間の一部分に描かれた魔法陣から現れたその男。
ぎらつく赤い視線と炎の印象。
男が自分の腕を無理矢理掴んだ瞬間、燃えるような熱が体を支配したのを覚えている。
何か禍々しいものに触れられた気分だった。
そんな男が、現実に存在している。
あの時の禍々しさは全く感じられないが、それでもちょっと怖くなる。
「・・・人外生物だったら・・・医者呼んでも治療は無理よね・・・」
もし、万が一、本当に寝惚けて自分が召喚してしまったのだとしたら。
彼の生命の糧の大部分は自分という事になる。
どのような工程を踏んだのかは覚えていないけれど、召喚者と召喚獣は必ず魔力によって繋がっている。
肉体を維持するのに必要な食糧と同じくして、別世界から来た召喚獣を現世に維持するためには必ず召喚者の魔力が常に一定量注がれていなければならない。
つまるところ魔力が安定してさえいれば多少の傷や、飢えなどに召喚獣は左右されないのである。
ゆっくりと、男の方に視線を移した。
「・・・」
試す価値はあるかもしれない。
彼の額に掌を当て、深呼吸をする。
そして軽く念じれば、成る程彼の体は貪欲に魔力を吸収するではないか。
まるで砂漠に水か落ちるかの如し。
これでもかというほど吸い取られ疲弊し始めたとき、彼の目が開いた。
ぱちんと視線がぶつかる。
「・・・」
「・・・」
「・・・気分は、如何」
一瞬の沈黙の後、思わず口をついた言葉がそれだった。
他に何と声を掛けてよかったか全く分からなかった。
「・・・・・・お前誰だ」
至極最もな質問であるが、質問に質問で返された事に少し腹が立った。
「あたしは。・・・で?気分は如何」
「・・・悪くねェ・・・」
僅かに不思議そうな感じの表情を浮かべて男は起き上がる。
体が元通りになっている事を感覚で知る。
不思議だった。
「・・・何でだ」
「魔力を注いであげたからよ」
「・・・マリョク?何だそりゃ」
首を傾げる男に、は首を傾げた。
魔法生物が何故魔力を知らないのだろう。
「何って・・・貴方の体を形作る源じゃない」
「バァカ。体ってのは蛋白質っつーモンで出来てんだぞ。細胞の主成分だろ。マリョクなんか聞いたこともねぇ」
「タンパクシツ・・・?サイボー・・・?」
何だろう、新しい魔力の名称だろうか。
更に首を傾げるに、男も更に首を傾げる。
「・・・まあいいわ。どうせ異世界の事をあたしには理解できないもの」
「異世界・・・?おい、異世界ってどういうことだよ」
ぼろりと零れ落ちたの台詞の一端に男の表情が変わる。
「貴方はあたしに召喚されたの。って、召喚獣の癖にそんな事もわかってなかったの?・・・まあ、あたしもどんな契約したかは覚えてないけど・・・さ」
「ショウカン?契約?おい、意味わかんねぇぞ。俺はお前にゲットされたとかそういうことか?」
「ゲット?」
「だから、お前に捕まったんだろ!?俺は!」
苛つき語気が自然にきつくなる。
多少の怒声を孕んだ声に圧倒されながらもは曖昧に頷いた。
「・・・捕まったって言うよりは・・・あたしの魔力を元に貴方の元いた世界からあたしの世界に呼び出されたのよ」
「・・・は?」
「貴方は元いた世界の制約から解放されて、新たにこの世界の制約に縛られる事になったわけ。それが召喚」
何を、言っているのだこの女は。
「ねぇ、貴方の名前は?」
「・・・ファイヤー・・・」
「随分直接的な名前だね。属性も何もかもばればれじゃない」
「・・・正確にいや、種族名だからな」
呆然と受け答えするファイヤーを不思議に見遣りながらは言葉を続ける。
「それなら尚更、別の名前で呼んでもいい?」
「好きにしろよ」
「じゃあ・・・なんかどうかな。びしっとしてそうで良くない?」
「好きにしろって言っているだろ」
同意を求められてますます苛々した。
嗚呼。
悪い、夢・・・だ。
そうだ、目覚めれば現実という概念に引き戻されてこんなことは忘れられる筈。
早く目覚めなければ。
早く、はやく。
=======================
オリジナル度高すぎて皆さんがついてきてくださるかどうかが唯唯心配です。