生まれて確か17年。
ずっとこの日本を出たことが無い。
なのに何故。
気付けば知らない場所にいて、自分のことが何も分からなくなっていた。





午後の忘却





「老師」
薄ら曇ったその日の聖域。
天秤宮に珍しい客があった。
それは教皇の間にいるはずのサガ。
教皇不在の十二宮を現在統治しているのは彼だった。
「おお、サガ。珍しいのう。仕事は如何したのじゃ?」
「直ぐに戻るつもりですが、老師宛てに手紙が来ていましたので」
すっと手渡された白い封筒。
「また手紙とは随分珍しいのう。今日は雨かも知れんな。どれ・・・春麗からか」
差出人を確認してぴっと端を破る。
しばらく無言で手紙を文字を辿っていた童虎。
それを確認し、サガはそのまま出て行こうとした。
「・・・サガ」
しかし後ろから声を掛けられその足を止める。
「何でしょう」
「お主が今朝がた言っていた任務、もう誰かに決まったかの?」
「いえ、まだ決まっていませんが」
「儂が行こう。少々問題が起きたみたいでな。ついでじゃ、片してきてやろう」
そういって童虎は手紙を指差した。
サガも小さく頷く。
「分かりました。それでは宜しくお願いします」
「うむ」
童虎の返事を確認し、サガは天秤宮を後にした。




「何か思い出した?」
春麗の言葉にはっと顔をあげる少女。
しかし直ぐに表情を曇らせて俯いてしまう。
「・・・いえ、ごめんなさい・・・」
「あ、いいのよ。謝らないで・・・!」
慌てて言葉を撤回し、お茶を差し出した。
「・・・あの、私・・・本当に日本に帰れるの・・・?」
「ええ、老師がお帰りになればきっと大丈夫」
不安そうな少女を励ますように春麗は言う。
これには絶対の自信があるようだったので少女も少しだけ微笑んでみせる。
そんな時。
がらりと玄関の開く音が聞こえた。
「春麗、おるかの?」
続いて聞こえてきた若い声。
しかしなんとなく喋り方が古臭い。
「あっ老師だわ!ちょっと待っていて」
とたとたと春麗が玄関へ向かうのを見送り視線を手元に戻した。
何故自分がこんな所にいるのか。
何故自分は殆どの記憶を失っているのか。
ぐるぐると渦巻く自分の思い。
しかし答えは一向に出やしない。
はぁ、と溜め息をついたときだ。
ぬっと現れた金色の男。
「!?」
それを見て驚きのあまり思わず後ずさった。
「老師、その方です」
「手紙の少女じゃな?」
なんだこの金色の男は。
喋り方もなんだかお爺さんみたいだし。
だけどそんなことを言う度胸もない。
近づいてくるその男をただただ驚きの目で見つめ返すのみ。
「お主、名前は覚えておるかの?」
「・・・いいえ。覚えてるのは年齢と出身国くらいです」
そしてその出身国は今、この場所ではないということ。
「ふむぅ・・・後は全部忘れておると?」
「そうです」
嘘偽りのない真実である。
暫らく少女を観察していたが、金色の男はやおら体を起こすと春麗に向き直った。
「春麗、儂はこれから任務もある。それが丁度日本へ行く任務でな。この子を連れて行こうかと思うが良いかの?」
「ええ・・・ちょっと寂しくなりますけどそれが一番良いと思います」
にこりと笑う春麗。
そして少女を見た。
「良かったわね。貴方は日本へ帰れるわよ」
その言葉は非常に嬉しかった。
しかし少女は同時に心配にもなった。
パスポートも何も持っていない今果たして本当に日本へ帰れるのか、と。
そんな少女の心配を見透かしたかのように、金色の男は少女の肩に手を置いた。
「大丈夫じゃ」
自信に満ちた笑みでそう言われると何となく大丈夫なような気がしてきて不思議だった。
「・・・ありがとう、ございます・・・。ええっと・・・」
「おお、申し遅れたな。儂は童虎と言う」
「そうですか・・・名乗る名が思い出せなくてすいません。私のことはお好きなように呼んでください」
困ったような表情を浮かべる少女。
「・・・むぅ・・・そうじゃのう・・・。それではなどどうじゃ?」
・・・?漢字ではどう書くんですか?」
「『』と書くんじゃ。なかなか良いじゃろ?」
少し日本人の少女には耳慣れない名前ではある。
しかしその綺麗な響きと漢字が気に入った。
「気に入りました。ありがとうございます」
もしかしたら本当の名前よりも良いかもしれないと微笑む少女に童虎も満足げであった。
――そして。
暫らく童虎は春麗と少女――と話をしていた。
元々人の心を掴むのが上手い童虎はすっかりとも打ち解けていた。
は童虎のことをとても聞きたそうだったが、身分を伏せ当たり障りの無いことだけを教えようとすると結局何も喋れない。
「企業秘密じゃ」とか「仲良くなったら教えてやろう」と言って交わしていたがそろそろそれも苦しくなってきた頃。
童虎がぴくりと外に目をやった。
「来たみたいじゃのう」
「え?何が・・・」
童虎の視線を追う
しかしそこには何も無い。
疑問符を浮かべながら童虎と外を交互に見ていたが、やがて。
「えっ・・・えぇぇ・・・っ!?」
派手な音を響かせて現れたのは、なんと小型のセスナ。
突然のことに物凄く驚くだった。
本当はテレポートで行けば一瞬である。
しかし一般人のを連れてそれは不可能だ。
事情も何も知らない少女を独断で巻き込むわけにも行かない。
「ほれ、。これで直ぐに日本に連れて行ってやるぞ」
「・・・・・・・・・童虎・・・貴方って・・・何者・・・?」
驚かされっぱなしのは目をぱちくりとさせて童虎を見るが、童虎は曖昧に笑うしかなかった。






自分の国に帰ってきたというのにこのいたたまれなさは何だろう。
パスポートも何も持たず日本への入国。
不思議なことに自分の乗ったセスナは誰にも見つからなかったようだ。
そんな筈は無い。
軍隊こそない日本であるが、異分子にはこれでもかと言うほど敏感だ。
海から来ようと空から来ようと何かしらの監視はあるはずなのに。
どんな裏技を使ったのかは分からないが不法入国した気がしてならない。
生まれて育ったはずの国なのに・・・。
はぁ、とは溜め息を吐いた。
「うん?どうしたのじゃ。疲れたか?」
「いえ・・・別に・・・・・・あの・・・捕まったり、しないよね?」
心底心配そうな表情の
記憶喪失な上に警察に捕まるなんてそんな不運を重ねたくない。
そして二人してセスナを見送った後、は辺りを見回した。
「ここって・・・山の中、だよね」
「そうじゃ」
「・・・まさか、歩くの・・・?」
疲れたわけではないが、見渡す限り木、木、木。
人がいるところまで何キロあるんだろうと不安になる程の山の中。
それだけ歩き切る自信など無い。
「案ずるな。ほれ、あそこに迎えが来ておる」
「え・・・」
童虎の指差す先に視線をやる。
そこには真っ黒なセダンタイプの車が一台止まっていた。
「用意が良いのね・・・」
「お前さんみたいな可愛らしい女性を待たせる訳にはいかんからのう」
別段意識して童虎がその言葉を言ったわけではなかったが、心なしかの頬が赤く染まる。
それと同時に何故だか分からない不安と罪悪感のようなものを感じては戸惑った。
「ほれ、行くぞ」
促され、自然に手を引かれた。
軽く握られた手に一瞬驚いて、少しだけ羞恥して。
そしてまた不安と罪悪感が襲ってきて。
一体自分は名前以外の何を忘れてしまったのかと思った。
だがそれは未だ知る由も無い。
今、自分は
17歳で、日本人で。
そして童虎に貰った名前「」が。


少女を少女と定義づける全てであった。










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ていうかセスナで中国から日本までは絶対にいけないと思うんですが、もうこの辺如何にもならなくて・・・。
テレポート使えないって不便で仕方ない;
ところでバランに続き親子っぽいカップルです;;
これも本当にくっつくのか心配でなりません。
続きます。