その日星矢は少しだけ体調が良くなかった。
だから、人馬宮にある風邪薬を無断で飲んだのだけれど。
まさかこんなことになるなんて。




怪しい薬




「・・・紫龍・・・ヤバイことになった・・・」
今にも死んでしまいそうな面持ちで天秤宮に入ってきたのは星矢だった。
「?どうした星矢。何だか声がおかしいな。風邪でも引いたか」
「当たらずとも遠からずって感じかな・・・」
はぁ・・・と盛大な溜め息をつき、いつもは底抜けに明るいその顔を酷く曇らせている。
流石に紫龍は心配になった。
「星矢、何が如何ヤバイのだ?・・・サジタリアスの聖衣でも壊したのか?」
「・・・違う。それよりもっとヤバイ・・・」
紫龍の傍に駆け寄り、星矢は服をがしっと掴んだ。
そしてそこで初めて星矢は紫龍に視線を合わせた。
一瞬、違和感を感じる。
星矢であって星矢で無いような、不思議な感覚が。
「・・・俺・・・俺・・・・・・・・・・・・・女になっちまった・・・」
「・・・・・何?」
頬を赤くしてぼそぼそと呟くように吐き出されたその言葉。
『女になった』
何の冗談だと笑い飛ばしたくなる。
しかし、視線の下の星矢は心なしかいつもより背が低いような気がするし、何だか胸元が不吉に膨らんでいるように見えるし。
そんな紫龍の疑念と困惑を見抜いたのだろう。
星矢は気まずそうな表情で、こう言った。
「・・・確かめても、いいぜ」
恥ずかしそうに呟かれたその言葉にますます紫龍は戸惑った。
「い、いや・・・それは」
「いいから触ってみろよ」
流石に女の体に触れることは躊躇われるので辞退しようとしたが、星矢が無理矢理紫龍の手を掴んで自らの胸の上に押し付けたのである。
―――むにゅ。
ぎくりと紫龍の体が強張った。
あってはいけない感触が、する。
慌てて手を離す紫龍。
心なしか頬が赤いのは気のせいではないだろう。
「・・・如何しよう・・・」
「・・・如何しようと、言われてもな・・・」
ここでデスマスクだったら『んじゃとりあえず一発ヤるか』などという軽口も叩けただろうが、生憎と童虎に素直に育てられた紫龍の中にはそんな言葉は存在しない。
「と、とりあえず老師に聞いて・・・」
「だっダメだ!!!誰にも言わないでくれ!!!」
女になっただなんて他人に漏れれば一瞬にしてこの狭い聖域に知れ渡ってしまうだろう。
そんな末代にまで残るような恥をかくのは真っ平だった。
「だが・・・アイオロス今晩仕事から帰ってきたら嫌でも見つかるだろう?」
「・・・アイオロスは今日から出張で一週間帰って来ないから・・・」
「何!?;;」
それは丁度良いと言うか何と言うか。
とりあえず一人ではろくに料理も出来ないような星矢をたった一人で一週間置き去りにするアイオロスもどうかと思った。
これはアイオロスが帰ってくる前に餓死するな。
「・・・星矢、とりあえず老師なら大丈夫だ。きっと良い案を考えてくださる」
「ミロとデスマスク、それとカノンにはばれないって言うなら・・・いいけど」
大体危険な輩はそれくらいだろう。
この3人のうちどれか1人の耳にでも入れば、ペガサス星矢は実は女だったなどと言う噂が聖域中を駆け巡ってしまうことだろう。
それだけは絶対に避けなければいけない。
「大丈夫だ。老師は人の嫌がる事をすすんでやるようなお方ではないからな。口も堅いし」
「・・・」
誰かに見られるのは不本意である。
しかし261年も生きた老師なら何か知っているかもしれないし。
星矢は渋々頷いた。
紫龍の服を相変わらずぎゅっと握ったまま、紫龍の後ろに隠れるようにしてついて行く。
向かった先は天秤宮の執務室だった。
軽くドアをノックしようと紫龍が手を差し上げた時だった。
「良い。紫龍も星矢も入って来て良いぞ」
「!」
「それでは失礼します」
後ろで星矢がぎくりとした。
服を掴んでいる手にますます力が篭ったのも分かる。
「老師」
「悪いが聞こえてしまってのう。秘密の話はあまり大きい声でするものではないの」
「・・・地獄耳・・・」
げんなりとした表情で星矢が呟いた。
そんなに大きい声で喋っていたつもりもなかったのに。
「ほっほ、体が若くなってからは耳もよく聞こえるようになってしまったのじゃ。さて星矢、こっちへ来なさい」
ちょいちょいと手招きをされて星矢はおずおずと童虎の傍へ移動する。
その後姿はやはり小さくなってしまっていて。
全体的に柔らかそうになってしまったシルエットも可哀想だった。
「・・・俺、治るの?」
「ふむ。流石に儂も人生の途中から女になった者は見たことがないからの。何とも言えん」
星矢の顎を掴んで顔をじっくり覗き込んでみたり、手を取ってみたり。
「じゃがお主はばっちりかわゆいぞ。このまま女としてでも十分に生きてゆけると思うがのう」
「いや、そんなお墨付きいらないから」
「ま、しばらく過ごしてみい。そのうち戻るかもしれんしな。戻らんだら戻らんだで・・・そうじゃのう・・・天秤宮に来て次期天秤座を生むのはどうじゃ?ほっほ」
面白そうに童虎は言い、その意味を理解した紫龍が後ろで赤青くなるが星矢は良く分からず小さく首を傾げた。
「次期天秤座?俺、アイオロスに射手座継げって言われてるから無理だぜ?」
「お主が継ぐのではない。紫龍の子が継ぐのじゃ」
「・・・紫龍の子?・・・・・・・・・・あっ」
小さく星矢が声をあげ、僅かに頬を赤くして俯いた。
そんな星矢の手を後ろから取る紫龍。
「ろ、老師お忙しいところありがとうございます!お邪魔でしょうから我々はこれで!!」
そういい残し脱兎の如く逃げ出す紫龍と星矢。
置き去りにされた童虎は笑いながら。
「本気なんじゃがのう」
などと呑気に笑っていた。



「・・・結局根本的解決にはならなかったな」
「うぅ・・・本当に戻らなかったら俺どうしよう・・・」
童虎の言うとおり紫龍のところへ嫁ぐ羽目になるのだろうか。
流石にこの姿では聖衣を装備できないと思う。
というかやってみたら見事に胸がきつくてウエストがゆるゆるだった。
どんよりと落ち込む星矢をソファに座らせ、とりあえず落ち着けとお茶などを勧めてみた。
「・・・ありがと・・・」
力なく礼を言い、それに口を付ける。
ついでに出してやった茶菓子の水羊羹を一口食べて、ふと星矢が妙な表情をした。
「何か変かも・・・」
「何?味がか?」
昨日買ってきたところなのに・・・と言う紫龍に首を振る。
「水羊羹って・・・こんなに美味かったっけ・・・?」
「・・・い、いや・・・そんなことを聞かれても・・・」
いつも出してやっていたのと同じものだし。
星矢は好き嫌いも無くなんでも美味しいと食べる方である。
だが、今日は様子が違った。
「・・・なんか・・・すっげぇ美味い。買うところ変えたのか?」
「いや。同じだ」
「変だなぁ。いつもと全然違うぞ?」
ほら・・・と星矢に差し出されて紫龍は反射的にそれを口に入れた。
食べた後で女の子の手から食べてしまった事に気付く。
それに僅かに羞恥を感じつつ、星矢にはそれを気付かれないように平静を装って口の中の物を租借する。
「どうだ?」
「・・・いつもと変わらないが・・・」
「俺が変なのかな。・・・あーでも、すげー美味い。不味いわけじゃないからいっか」
どことなく幸せそうに食べる星矢が可愛くも見える。
とことんまでに女っ気のないここに住んでいれば仕方の無いことと言えよう。
そこでふと紫龍は恐ろしいことに気付いた。
もし、星矢が女になってしまったことが聖域に知れ渡ったら・・・。
こんな女のいないところに突然落ちてきた元男の星矢。
その「元男」というのがネックである。
元々女であればまた話が違ってきただろうが、元男。
それなら少々くらい無体をしても平気だろうとか。
馬鹿な考えを起こす奴もいるかもしれない。
まだアイオロスがいれば良かったようなものの、アイオロスは一週間人馬宮にいない。
ここ一番で役に立たん男だと思いながら紫龍は星矢を見遣った。
美味しそうに水羊羹を食べている。
そう紫龍の分までも。
その表情。
勿論星矢の面影はあるが、やはり女の子の顔になってしまっている。
小さく細くなってしまっているようだし、なんとなく頼りなく感じられて。
こんな星矢を人馬宮に一人放り出せるわけが無い。
もしかしたらもう何処からか女の匂いを感じとって天秤宮に誰かが来ているかもしれないし!
「・・・星矢」
「何だ?」
「とりあえずアイオロスが帰って来るまでここにいないか?流石に女になったお前を人馬宮に一人で置いておくのも気が引けるし・・・」
「あ、それ滅茶苦茶助かる。実は今晩アイオリアのところ行かなきゃいけなくてどうしようかと思ってたんだ」
「・・・何?」
何故ここでアイオリアが出てくるのだろうと、紫龍は首を傾げた。
「や、俺料理出来ないだろ?だからアイオロスが行きがけにアイオリアに一週間のこと頼んでくれたらしいんだけど、俺こんな体になっちゃったし・・・」
だから紫龍のトコに置いてもらえるんなら獅子宮に行かなくてもいいから丁度いいや!
などと笑って言う星矢に紫龍はほっとした。
今この提案をしていなければ獅子宮からアイオリアが訪ねてきて面倒なことになっていただろう。
人馬宮に星矢がいないとなれば、一番親しくしている紫龍のところへ聞きに来るのは目に見えているのだから。
「・・・じゃあアイオリアには俺が断りに行こう。お前は俺の部屋にいてるといい。誰かに見つかったら面倒だからな」
「悪いな・・・紫龍」
少し表情を暗くして、だけど笑って見せる星矢。
それを見てなんとなく心苦しくなりながら、紫龍は星矢を残して天秤宮を後にしたのだった。
この後、紫龍は星矢を自分の部屋まで送らなかったことを超後悔することになる。


「・・・はぁ・・・ホントに戻れんのかな・・・」
自分の体を見下ろして、星矢は小さく呟いた。
出してもらった水羊羹の皿と湯飲みをキッチンへ持って行って、紫龍に言われたとおり部屋で帰りを待つことにする。
天秤宮の一室を紫龍は自分の部屋として使っていた。
それは勿論星矢も同じだし氷河や瞬、一輝も同じである。
与えられた部屋の大きさこそ違うが(例えば氷河などはカミュに隣の部屋を貰ったが、別々に寝るのはなんとも寂しいので壁を取っ払って一つの大きな部屋にした)皆平等に部屋を与えられていたのである。
まあ違いといえばどれだけ綺麗にしているか、と言うことで。
紫龍の部屋は何時上がっても綺麗に整頓されていた。
本当にベッドで毎日寝ているのだろうかと疑問に思うほどきちんとシーツの皺も伸ばされたベッドや、几帳面に著者順に並べられた本が揃う本棚など。
だが今日の紫龍の部屋は少し違う様相である。
そう、皺一つ無いはずのベッドが変な風に膨らんでいる。
しかし誰かが寝ているという割には小さいし。
「・・・紫龍、寝坊でもしたのかな・・・」
少し不審に思いながら星矢は上に掛かっている布団に手を伸ばした。
そしてそろりと捲くってみる。
「わー!!!!!」
「うわぁっ!!!」
がばぁっと中から何かが飛び出してきた。
驚いた星矢は思わず後ろに飛び退いて本棚で思い切り背中を打ってしまう。
「いってぇ・・・」
驚きよりも寧ろその痛みの方が強くて座り込んでいたら。
「あれ?なんだ、紫龍じゃないのか」
聞きなれた声が頭上からしたので、星矢は顔を上げた。
すると紫龍のベッドの上に立っていたのは、白羊宮にいるはずの貴鬼。
「貴鬼・・・お前何してるんだ?」
「紫龍驚かそうと思ってベッドに隠れてたんだ。星矢、紫龍は?」
「・・・アイオリアのところに行った」
「ふぅん・・・なんだぁ。・・・ところで星矢なんか声変だね。女の人みたいな声してるけどなんかの罰ゲーム?」
「えっ・・・」
しまったと星矢の表情が苦くなる。
ここでこんなダークホースに出会うとは・・・。
ある意味ミロやデスマスクなんかよりも余程性質が悪いかもしれない。
「ちょ、ちょっと風邪引いたみたいで・・・」
はは、と笑いながら誤魔化そうとそう言ってみた。
しかしそれが裏目に出た。
「じゃあおいらがムウ様呼んで来てやるよ。ムウ様の薬すごいんだぞ!だから大人しく寝てろよー!!」
言うなりぴゅうっと一目散に天秤宮を出て行ってしまったのである。
まずい。
これはまずい。
ムウなら恐らく悪いようにはしないだろうけど、流石にこれ以上他人にばれるのは困る。
慌てて星矢は貴鬼を追いかけた。
「まっ、待て!!!待て待て貴鬼!!!」
だだだだ、と派手な音を立てて星矢は天秤宮の廊下を走り抜ける。
あわや貴鬼が天秤宮を出ようかというところで。
――ガシッ!!
と、後ろから貴鬼を羽交い絞めにして捕まえることに成功した。
「何だよ、寝てなきゃダメだぞー!」
「いや、いい!ムウはいいから・・・!!・・・ていうか貴鬼お前なんか重くなったな・・・;;」
ずしりと腕に貴鬼の体重がかかり、星矢はよろりとよろめいた。
この前貴鬼が飛びついてきたときはそうでもなかったのに・・・と星矢は不思議に思う。
とりあえず逃げられたら困るけれど立っていられないので貴鬼を抱っこしたまま星矢は天秤宮の入り口に腰を下ろした。
「・・・俺は大丈夫だから。そんなことで忙しいムウをいちいち呼び出すわけにもいかないだろ、な?」
必死で貴鬼を止めようと星矢はそう諭した。
星矢の言葉に貴鬼はまだ少し納得いかないような表情を見せるが、ふと貴鬼の顔が驚いたような風に変わった。
「・・・星矢?」
「何だよ」
「・・・お前本当に・・・星矢?」
またしても居心地悪そうに身じろぎながらそんな発言をする貴鬼に慌てる。
不信感を残したまま逃げられて、ムウにでも言いつけられたら大変だ。
「当たり前だろ!何言ってんだよ」
「・・・え・・・でも・・・」
所在名下げに貴鬼が星矢を振り返った。
その視線は星矢の顔を伝って、胸に辿り着く。
星矢があ、と思ったのと貴鬼の手が星矢の胸を掴んでいたのは同時だった。
「!」
「わぁっ!!!や、やっぱりお前星矢じゃないな!?離せ!!!星矢を何処にやったんだぁぁぁっ!!!」
柔らかな感触に貴鬼が星矢を星矢でないと思い込み逃げ出そうとじたばたもがく。
「ち、違・・・!!」
「離せぇぇっ!!!ムウ様ー、助けてー!!!!」
「わあぁぁっ、そ、そんなこと叫んだら・・・!!!!」
ムウが来るじゃないか・・・、と星矢が叫ぶことは出来なかった。
それもそのはず、後ろにムウの小宇宙を感じたからである。
これでもかと言う風に殺気を孕んで。
「・・・何をしているんですか、二人とも」
その冷静に冷たい声は星矢を地獄に落とすには十分であった。
「・・・さ、最悪だ・・・」
心の中で泣き叫びながら星矢は後ろを振り返ったのである。













==================
滅茶苦茶ながくなっちった。
星矢ちゃんが水羊羹を美味しく感じるようになったのは女の子になっちゃったからです。
ていうかそれって私基準ですが・・・。
落ち込んでるときとか甘いものを食べるとちょびっとだけ落ち着きます。チョコレートが効きます。
チョコレートの半分は幸せで出来てると信じ込んでいます。
女の子ってそういう生き物(違う)