残暑見舞いにかえて   近藤 佐枝子


 残暑お見舞い申しあげます。夏休みももう半分。我が家では、長男は野球部の練習に精を出し、二男は月末のピアノのコンクールにむけての、練習に精を出している?毎日です。
 私にいたっては、今年は地域や学校の御用はなく、ゆっくりできると思っていたのですが、夏前頃に、子ども会の副会長が引っ越すことになったので、引き受けてほしいということになり、受けることになりました。
 以前はこういう役を引き受けると、その用事で教会を閉めなければならなくなると、罪悪感を抱いたり、反対に、ご祈念の時間に用事が重なって出席できなかったりすると、変に言い訳がましくなったり、愚痴っぽくなったりと、変な責任感を振りかざしていたように思います。自分の中で、教会でご用する者はこうでなければならない、というようなものがあって、それを崩してはいけないと思っていたんだと思います。今思えば、それは自分の我でしかなく、頑張る=我を張る自分だったと思うのです。

 昨年教会長が、小学校のPTAの副会長のご用をさせてもらうことになりました。そのご用の様子を見せて頂いていると、自分のご用のあり方が間違っていることに気づきました。させて頂けることを精一杯させて頂ければ、させて頂ける範囲でお役に立つことができるということに気づきました。そして、ご用を頂くということは、神様からご用を頂くということだから、差し支えがおこることはないということに気づいたのです。きっと今回ももっともっと地域のお役に立つようにとの神様からのご用だと思いました。地域のお世話になっての教会だということを実感する必要があることを、神様から教えていただいているのでしょう。だから、迷いもなく気持ちよく喜んでこのご用を受けることができました。

 頭で色々考えるのも大切だけれども、起こり来る流れに乗って、流れるがままに身をまかせるのも気持ちいい生き方だし、とてもありがたい生き方だと思います。
 残り半分の夏休みにも、子ども会の行事が残っています。できる範囲で精一杯ご用に使っていただきたいと思います。
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