教会だより「和らぎ」100号の歩み            近藤正明

 

1  発刊までの取り組みと願い

 

 平成4年9月、私たち夫婦が名張教会に着任して4ヶ月が経った頃、翌年に迎える名張教会開教70年記念祭に向けての準備委員会を発足するため、会合をもった。その際、「教会誌を発行しては」との意見が出て、とりあえず、発刊準備号(B5判1枚もの)を刊行した。記念祭への取り組みについてと、教会誌発刊への願い、愛称の募集などで、紙面が埋められていた。同時に、70年祭記念誌の発行とそれまでの取り組みについても話し合った。

 紙面への願いは、教会行事の具体的な内容のお知らせ・布教、しかも未信奉者に読んで頂いても、ある程度理解できる内容を目指し、できれば信徒参加の紙面を、とにかくいったん発刊するには、何が何でも休まず月一回発行を、と願いを立てた。

 

2  まぼろし?の「創刊号」

 

 かくして、教会だよりは平成5年1月に創刊することとなり、愛称は柳井郁さん案の「和らぎ」に決定した。表紙には教会長の発刊のあいさつ、2面には信徒3名の記念投稿、3面には1月の行事案内と、愛称決定の記事、4面には創刊記念クロスワードパズルと、編集者(正明・佐枝子)は「本当に毎月発行していけるだろうか」と、正直不安でいっぱいの船出であった。毎年、1月号のクイズは、手を変え品を変え、佐枝子先生の製作によって続いている。
  さて、創刊号をお持ちの方はいらっしゃるだろうか?お持ちの方はかなり貴重ですよ。というのも、この創刊号だけが、最初で最後の初期のワープロ(正明が平成元年に買った旧式)の製作版であり、またA3(現在のものよりひとまわり大きい紙面)で発刊されたもので、左開き(和綴じ)縦書き版である。実は教会にもそのものは現存せず、縮小されたものを保存版に1部閉じてあるのみである。金光図書館には保存されている。第2号以降は、ほぼ現在の編集の形式(右開き・横書き・B5版4面)になる。

 

3  唯一の「2ヶ月」合併号

 

 平成5年11月14日、開教70年祭が盛大に仕えられた。教会誌としても「和らぎ」70年祭記念号として、冊子として発行した。そのため、平成5年10・11月号(第10・11号)のみ、合併号として発行している。それを除き、毎月発行を“かろうじて”継続している。

 

4  毎月10日発行の本当の理由

 

 創刊当初は、毎月1日発行を願っていたが、教会の月例祭は毎月第二日曜日に奉仕されている。1日は、教会行事の毎月の案内で示しているとおり、「月頭祈願」として、月初めのお礼の参拝日と願いを立てているが、名張教会の信奉者は、ほとんどが徒歩参拝の不可能な地域にお住まいで、それぞれの願いで月例祭に参拝される方も多い。そのため、月例祭で手渡しして、より新鮮な教会の情報を紙面で伝えるため、毎月10日発行としている。現実には第二日曜日に発行し、その際お渡しできなかった信徒の方や、県外遠方にお住まいの方には、翌日以降に郵送させて頂いている。

 

5  パソコンによる編集  〜神様の思し召し?〜

 

 80号(平成11年8月)より、パソコンによる編集に切り替えた。この年の4月末にパソコンを購入したが、なにぶん私はパソコンに触れることさえ初めてのことで(皆さん信じられないとおっしゃるが、事実です)、例えば「クリック」(マウスをカチカチたたくこと)という用語すら知らない状態からのスタートだった。8月上旬に、はるばる豊中教会の瀧山先生がお越しくださり、細かく指導して頂いた。82号(10月号)からは全紙面パソコン編集になり、それまで活躍した私の二代目ワープロはお役御免となった。「神様の思し召し」とはこのことか、全紙面をパソコンに切り替えて印刷するようになった翌月、ワープロを別の御用で使用した際、プリンターが故障して使えなくなっていたのである。このタイミングには驚くと同時に、神様にお礼申し上げずにはいられなかった。

 

6  これからの願い

 

 創刊当初、60部の発行でスタートしたが、現在は80部(大祭時は100部)に増えた。文書布教という面での役割は、ここまで順調に果たして来られたように思う。ここからの願いをいくつか列挙すると、まず、現在のまま、月1回発行を継続していくこと。第2に紙面の大きな変更は考えていないが、やはり信徒中心の紙面を作って行きたい、という願いがある。信徒の方のさまざまな投稿をこれからも広く呼びかけ、紙面作りに積極的に参加してもらえるよう、働きかけていきたい。第3に、金光教名張教会ホームページの充実である。現在、金光教関係のホームページは、本部をはじめ、約50教会(わかっているものだけで)ある。21世紀はまさしくIT布教の時代となろう。「和らぎ」のネット版紙面が、信奉者のみならず、教外の方にも広く購読していただけるようになる日が、実現することを願っている。金光教の教え、また金光教名張教会の存在が広く世に知らしめることができるよう、また世のお役にたち、人を救い助ける御用に使っていただけるよう、さらに精進してまいりたいと思う。