分け霊〜人として生まれて  教会長


 金光教の、「天地金乃神」とはどういう神様なのか、という素朴な疑問はだれでも持つものである。一般的な「神」観念は、「全知全能」「創造主」というイメージが強いが、天地金乃神は「親神」という、人間の親としてのイメージが強い。

 子どもが生まれてくるためには、親が必要なことは言うまでもないが、親は子どもを産む以上、その子どもの人格形成にまで大きな影響を与える。親の育て方、周囲の環境が子どもの人格に大きな役割を果たすのである。
 金光教教規前文に『天地金乃神は人間の本体の親』という一節があるが、人間は天地金乃神から、「肉体」と「分け霊」を授かって生まれてくるということである。
 分け霊とは、いわゆる「魂」=心のことで、その心には、自分の利益を中心に考えるものと、他人のことを思いやるものとの二種類がある。

 特に他人のことを思いやる心は「神心」と呼ばれるもので、他の人の役に立てることが、自分の喜びであり、そこに自分の利益の追求というものは存在しない。
 親の育て方や周囲の生活環境でその「神心」が発動される回数・機会が異なるが、人間は誰しも、そういう心を持ち合わせてこの世に生を受けているのである。

 先月25日朝、兵庫県尼崎市のJR福知山線電車脱線転覆事故により、多数の犠牲者が出た。忌まわしい事故のことは、後世の人までに記憶にとどめ、より安全な鉄道運行の教訓にしていただかなければならない。
 JRは、並行私鉄との経営競争に負けじと、「自分の利益」を中心とした考えがあの事故を起こしたのではないか、と一連の報道がなされている。一方、事故が起きた瞬間から、現場の沿線住民や企業、工場で働く人々が、自分たちの利益追求を中断して、多くの人々の救命救急活動にたずさわった。近くの卸売市場の人々は、氷や、商品のペットボトルのミネラルウォーターをそこらじゅうからかき集め、近くの運送会社では、できるだけ揺れの少ない大きなトラックに負傷者を乗せ、白バイに先導させて救急車の代わりとなって病院へ走った。彼らの多くは先の震災で大きな被害を受けていたが、その教訓は彼らの心の中に、困っている人を見て、放っておけない、なんとかしてあげなければならないという「神心」となって大きく発動し、それが実際救援活動となって現れたのである。
 私たちは信仰を持つ者も持たない者もみんな分け隔てなく、その「神心」を分け霊として神様から与えられて生まれてきている。せっかく人間として、神様から与えられてきた命、それを充実した形で使わせていただかなくてはならないと思う。

 
事故で犠牲になられた方のご冥福を心よりお祈り申しあげますとともに、負傷された方々の一日も早いご回復をお祈り申しあげます。

                      バックナンバーへ