宇宙空間からみる地球こそ   教会長       


  最近、パソコンサイトで「Google earth」(グーグル・アース)というものがある。地球を人工衛星から捉えた衛星写真のソフトで、住所を打ち込めば、無料で地球上のどの部分でも、上空からの様子を好きな縮尺で見ることができる。画面の中に地球全体を写すこともできれば、自宅の駐車場に停めてある車まで判別できる。あまりに精密な写真なので、プライバシーの侵害につながらないだろうかと、不安に思うのであるが、それを見ていると、世界中を飛行機で飛んでいる気分になり、興味深い。

 それを見ていて、ふとこんなことを思った。天地の親神様から見た世界は、教祖様によると、「はっはっは。大阪は広いのう。しかし、ケシ粒よりは少し小さかろう」というみ教えが、まさしくその通りだなあと。
(大阪、難波教会を開かれた近藤藤守先生が、信者を連れて教祖様の元へ参拝し、「大阪○○区△×町の何某」とお届けしようとしたら、教祖様が「いやいや、大阪 何某 何年生まれでよい」とおっしゃった。そして藤守先生が、「金光様、大阪は広うございます。四区二郡に分かれておりますから」と申し上げられた時の、教祖様のことば)

 神様から見た人間の住む世界(地球)は、パソコンのディスプレイの中に充分すぎるくらいの大きさに表示される。その陸地には、勝手に人間の手で作った「国境」もない。しかし、ある特定地域を拡大して見れば、さまざまな難儀を見て取れる(例えば、北緯38度線の「板門店」の辺り、中国大陸の黄河周辺などを拡大すると、紛争の火種や地球規模の環境問題が垣間見える)。
 最近のIT技術の普及は、まさに神業とも言えるものがある。おかげで、今まで私たちが見ることのできなかった「神様からの視線」で物が見えるようになった。教祖様の時代に「ケシ粒より小さい」と表現された大阪を、私たちが実感できるのだから。

 大阪に限らず、どこの町も国も、ケシ粒より小さい。その中に人間が息づき、幸せに生活する人もあれば、さまざまな難儀をかかえて生活している人もいる。いずれにしろ、天地の親神様に見守られて生かされているのである。その中には、自分の思い通りにならず、悩みうちひしがれている人々も多いだろうが、地球規模で見る目を持ってみてはどうか。きっと、何かに気づけると思う。金光教の信奉者は、とてつもなく大きな、広い目と心を持つ神様=天地金乃神様をいただいているのである。




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