「生まれる」「生かされる」                  教会長  

 毎年、初めて「宗教」の授業を受ける中三の生徒たちは、緊張や不安げな顔で私の姿をじろじろ見ます。「『宗教』って何させられるんやろ?」みたいな…。そんな中、今年初めての中三生の授業で、私の自己紹介をし、さらに「誕生日」の話をしました。

「先生な、10月22日生まれでな、マリナーズのイチロー選手や、とんねるずの石橋貴明と同じやねん」
って言うと、生徒たちは「へぇー」って顔の子がいれば「それがどないしたん?」って顔の子もいます。

「でもな、先生は10月22日に生まれようと思って生まれたんちゃうねん。ところで『生まれる』って英語でなんて言うか知ってる?
生徒A「Be bornちゃうんですか?」
「そやな。よう知ってるやん。これ、なんでBeが付くんかいな? 」
生徒B「受動態でしょ?」
「そうやね。ほんなら、なんで『生まれる』って言葉は、受動態でしか言えへんのやろなぁ?」
「……。」

「それはなぁ、生まれるってことは、自分の力で絶対でけへんからやねん。お母さんに『この日に産んで』ってお腹の中から頼めへんやんな。つまり、誕生日を自分で決めることってでけへんねん。もちろん、男女を選ぶこともでけへん。戸籍上の名前を自分で名付けることも無理やな。人間って、自分の力だけでできることって、実は少ないんや。なんでも自分の力でしてる、生きてるって思い違いしてることいっぱいあんねん。実は人間って『生かされて生きている』と、先生は考えてんねん。色んな人や物にお世話になって、初めて生きていけるんとちゃうかな。」

 いつのまにか、生徒たちの顔が和み、笑顔でお話を聞いてくれる様子をみて、とてもうれしくありがたく感じました。


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