うまくいかない原因   教会長
    

  天台宗の荒行「千日回峰行」を2度も満行された酒井雄哉さんがこんなことを述べておられた。

 「義理・人情はもう少し大切にした方がいいんじゃないかな。中国の故事で、猟師が鹿を撃ちに行った時、羊が鹿を助けるために、猟師の前に立ちふさがったという。羊は自分が犠牲になっても、鹿を助けたいと思ったんだな。それで、猟師が鹿を撃たないで羊を撃ったことから、中国では、羊は自分を犠牲にしてでも、他の動物を助ける生き物と見なされた。その話をふまえて、漢字の『義』を見てみると、『羊』と『我』という文字でできている。これは、羊が持っている『自分を犠牲にしてでも社会のために尽くす』という性質に着目した昔の中国の人たちが、漢字を作る際、自分のことばかり考えていたらダメですよ、ということを示すために、「羊」という字を使って、「義」という漢字を作ったと言われているんだよ。…中略… 西洋でも「羊」というのは、生け贄にして神様に供える動物とされている。しかも、西洋の人たちは、羊の血は、薬か栄養剤だと思って、全部飲んでしまうらしい。肉は食べるし、骨はスープになるし、皮は毛皮になる。つまり、羊は捨てるところがひとつもない、生け贄としてだけでなく、社会に広く役立つ動物とされるんだ。だから、羊のみならず人間も、常に自分中心に物事を考えるだけじゃなくて『自分たちの住んでいる社会や、みんなを幸せにするにはどうしたらいいか』という見地から物事を考えることが、世の中で何かをするときには必要なんじゃないかな。」
『うまくいかない原因は、自分のことばかり考えているからかもしれないよ』  

(『今できることをやればいい』天台宗大阿じゃ〔じゃ=門がまえに者〕梨 酒井雄哉著より引用)

 金光教では神前拝詞の中に「我情我欲に惑いつつ」とある。うまく行かない時こそ、視点を変えてみよう。言うのは簡単で実践することはとても難しい。自分目線から他人目線へ、人間目線から神様目線へのけいこも、信心生活の中からなしえることだと思う。



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