スピリチュアリティの時代       教会長        


7月に金光新聞の取材で、東京に出向き、「日本人の精神性と宗教の役割」と題する座談会に出席させていただいた。
 日本人の宗教離れは深刻で、特に若い世代で顕著である。先般、読売新聞の「宗教に対する意識調査」で、

「何か宗教を信じているか」と聞いたところ、「信じている」23%に対し、「信じていない」は75%。「宗教は大切であると思うか」でも、「大切」35%に対し、「そうは思わない」60%だった。
 その一方で、「神や仏にすがりたいと思ったことがある」は54%に達し、「ない」44%を上回った。宗教を「信じていない」人の中でも、「すがりたい」は47%だった。


という結果が掲載されており、私は軽いショックを受けた。
 「神仏にすがりたい」と思う人が多くいる中で、「宗教は大切でない」という人が多い矛盾。このことから、宗教が大事かそうでないか、ということより、いかに「宗教に関する教育」が我が国でなされていないか、ということがはっきり現れている。それとともに、現代のあらゆる宗教家たちが、本当に宗教によって人々に救いの手をさしのべる努力がなされているのだろうか、と疑問を持つようになった。
 座談で、出席者の大正大学助教授・弓山達也先生と、元金光教教学研究所長・福嶋義次先生がこう話しておられる。(Kは司会者)

弓山 日本では、80年代の宗教ブームを経て、心に関するブームが訪れました。そのころ、医療や在宅ケアの現場では、「なぜこんな病気にかかったのか」とか、「なぜ死ぬのか」といった患者や家族の疑問に答えようとする動きが起き、「スピリチュアル」という言葉が使われ始めたのです。そうした要請を受ける形で、カトリックや高野山真言宗の中では、スピリチュアルケアワーカーの養成講習も始まりました。
K スピリチュアリティ(霊性)と宗教の関係は?
弓山 宗教を一言で表現すると、魂の救い≠ノかかわることだと考えています。「スピリチュアリティ」も、そこにかかわる重要な要素です。50年前に禅思想家で仏教学者の鈴木大拙氏が、宗教的体験そのものを「霊性」と定義しています。
K 占いや幽霊などの話題には、興味を示しても、信仰とは結びつかないようですね。人々の宗教観や精神性は、どうなっているのでしょうか?
弓山 現代人は、教義や組織を抜きにした救いが可能であれば、そちらを選びたいと感じて、精神世界への関心を強めたのではないでしょうか。
福嶋 そうですね。宗教には本来、見えないものの力を感受し、見えるものに現していく働き(救い)や精神性が、第一にあるはずです。けれども、そうした救いや精神性から生まれてくるはずの教義や儀礼が先に立って宗教を規定してしまうと、宗教自体が随分と干からびたものになってしまうように思います。

 私はこの座談の中で、学校での「宗教」の授業の中身に触れ、本来の宗教が果たすべき役割を世間の人々が認知し、信仰の大切さを広く知ってもらうためにも、宗派にこだわらない宗教教育の重要性を改めて訴えた。弓山先生は座談の最後に、

弓山 以前、ある新聞に「日本人の75%が宗教に無関心」という調査結果が出ていましたが、これはすさまじい数です。社会の中に生き方のモデルがなくなる一方で、精神世界に関心を持つ人が増えている。そういう状況の中で宗教に何ができるのかと言えば、やはり生き方を示すことです。古くから宗教者の多くは、現実世界から少し身を離して目に見えない世界にかかわり、救いと共に現実世界での生き方や価値を示してきました。今日にあっても、宗教者はそうした役割を担い、「宗教的な生活を進めていくと、こんな豊かな世界が広がってくるんだ」ということを、示していく努力が必要だと思います。

と語っておられた。
 それぞれの家庭で、金光教信奉者として次の世代に信仰を受け継いでいくことが非常に大切であることはいうまでもない。みなさんにその役割を担っていただくことを願うとともに、その基盤に教会があり、取次者として御用いただく私自身の姿勢について、この座談に参加したことを通して、改めて襟を正されるような気持ちになった。
(引用資料:読売新聞H17.9.1記事、金光新聞H17.9.4記事)

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