そのありがたさを忘れないように  副教会長

  5月の月イチの通院の日、その日はちょうど11:00に予約で少し前に病院に着いた。待合室の椅子に落ち着いた頃にテレビではひとつの番組がはじまった。
NHKの再放送のようだったがある同じ場所で数日取材をするという番組で、東日本大震災から5年ということで仙台の食堂で食事をしている様々な人にインタビューをしていた。
 本当に色々な人がいた。他の地方から単身仕事に来ている建築関係の人。逆に震災以降働けなくなってしまった地元の人もいた。
食堂の従業員の方は同僚を津波で亡くしたそうだ。そこには生きていることに感謝しつつ、一生懸命に生きている方々の姿があって私も見入ってしまっていた。

 その番組の中で震災後数日家にあるお菓子などで生活していたという方が、やっとおにぎりを食べることができたときの思いをこう語られていた。
「こんなにおいしくてありがたいことはない」と。そのあと「もう忘れちゃっているけどね」とも言っていた。いや忘れているってことはないだろうと思いながらも、
人間とはそういうものなのかもしれないとも思った。

 そして自分はどうなのか自分に問うてみた。すべてが当たり前になっていないか、ありがたいという言葉が口先だけになっていないか、
日々命をいただいているありがたさを忘れてしまってはいないか。そんな機会を与えてもらったような気がした。改めて、お礼が足りないおわびをされていたという
三代金光様に神ならって日々稽古をさせていただきたいと思った。
また東日本大震災や熊本地震など各地の災害からの復興が無事安全に進むように、さらに日々ご祈念させていただきたいと思いを新たにした。

余談ではあるが、30分の番組を最後まで見て、名前を呼ばれたのがこの番組が終わってから数分後だったこともありがたいと思った。

「待たせていただいてありがとう」とそんな気分になった。


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