祖母の祈りを受けて        教会長

  来月5日、父である、小阪教会先代教会長3年祭と、祖母の15年祭を迎える。父も祖母も、この名張教会に対する思い、祈りはひとかたならぬものがある。

 祖母は82才の昭和58年、この広前が移転新築直後から、単身でご用をさせていただいた。
ひとりでいることが特別嫌いな祖母は、さぞ心細かったと思う。また、高齢の祖母をひとりでご用することも心配だということもあり、当時高校3年であった私が、祖母とともに名張で過ごすことになった。受験生でもあり、多感な時期を家から離れた私は、ずいぶん祖母に無理を言ったり、心配をかけたりであった。

 2学期以降、名張から上本町までの通学をすることになり、早朝に出る私のために、ほぼ毎朝弁当を作ってくれたこと、洗濯や日常の世話まで、あの高齢でよくしてくれたものだと、今思うと頭が下がる。
 この年、名張教会は開教60年のお年柄であった。またその年は教祖100年祭の記念の年でもあった。60年祭という形では祭典が行われなかったが「教祖100年金光大神大祭」は奉仕された。残っていた当時の写真を見ると、祭主は先代上野教会長、祭員は先代小阪教会長(父)の二人だけで祭典を仕え、、お結界に叔母(故上野三代夫人、初子先生)が座り、祖母を含め、参拝者は数人だけの教祖百年大祭であった。
 祖母は「ひとりでも多く参拝者があるように」と日々ご祈念していたようだ。祖母のご用は昭和60年の1月までであったが、参拝者がほとんどなかったその期間のご祈念が、今の名張を守ってくださっているに違いないと感じている。

 父は、戦中の学徒出陣から復員してすぐ、大学(皇學館)へ復学したが、あと半年での卒業ということであったのか、伊勢での寮生活ができない状況であった。その時、上野二代先生の計らいと、当時の名張教会長、八幡鶴松先生の厚意により、名張から半年間、大学へ通学させていただいたことを、生前よく話してくれていた。わずか半年であったが、名張教会での生活は楽しかった思い出だと。

 そんな経緯があり、現在私がこの教会でご用をいただいている。なんと神様は不思議な物語を作られるのか、と本当に感心する。祖母の祈り、父の思い、そして何よりも名張の広前をお守り下さる上野・名張の歴代先生の徳をしっかりと受け止め、ひとりでも多く人が助かり立ち行く教会に、と願わせていただいている。
 



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