してくれないという不足  近藤佐枝子

 先日、明日の教育を語る会という会合に参加した。先だって、「子育てと役割分担」という分科会に参加してほしいと連絡があり、あまり気乗りしないまま出かけた。

 最初に色々な問題提起のビデオを見た。たとえば、男の子が生まれて喜び、女の子が生まれて落胆する場面、男の子は男の子らしく、女の子は女の子らしく育てるべきだという場面、夫が定年になった日に、妻が新しい自分の道を進みたいと告白する場面等、若干極端だとは思ったが、「子育てと役割分担」というテーマに対してのいい問題提起だったと思う。その後、それに対しての感想、意見の発表があり、女の方は夫が子育てや家事を手伝ってくれないとか、夫は休日に好きなことばかりしているというような意見が多々あり、男の方からは娘が自分の事をわかってくれないとか、家事を手伝ってもお礼を言ってもらえないどころか、やり直されて気分が悪いなどという意見が出ていた。私は、「それぞれが真剣に思ってやっている事だろうけど、自分の意見を押しつけるのは、みっともないと思いました」と言っただけで、あとは参加している方の「してくれないという不足」パワーに圧倒されていた。

 結果的に、子育て??について語っているのって感じだったけど、私にとっていい勉強になったと思う。色々な方の意見を聞いて、同意出来ることは少なかったけれど、たとえ家族であったとしても、人間として人と関わって生きていく以上「してくれないという不足」はついてまわるものなのだと思った。でも私たちにとって大事なことは、不足に思ってしまったことを自覚し、相手に向かった不足を自分にむけ、不足に思う心が少しでもなくなっていくように願っていくことではないかと思う。そしてそれがお礼へと変わっていったらいいなと願ってしまう。

 最後にある男の方が「普段うまくつきあえていないと思っていた娘が、自分のことを誉めるようなことを、担任の教師に言っていたと妻から聞いてとても嬉しかった」と言っていた。単純だけど、不足を言うより誉める。どんな関係でもまずこれだと思いませんか?

    バックナンバーへ