「信心教室」原稿執筆依頼を受けて  教会長   

  5月のある日、全国信徒会の役員の方から、電話がかかってきました。内容は「信徒会報『あいよかけよ』」の「信心教室」執筆を3か月の連載でお願いしたいとのこと。「うわぁ」と思いつつ、お役に立てるご用であればとお受けしました。
 過去のものを読ませていただくと、歴々の先生方がご自身の体験について、けっこう赤裸々につづっておられ、私には逆にまねできないなあと感じつつ「『信心教室』というタイトルなんやから、思いっきり教室スタイルにしてみよう」と意を決し、執筆に臨みました。
 ここ数年、私自身が取り組ませてきていただいたこととして、「地域の方に金光教の存在を知ってもらいたい」ということについて、副教会長にも意見をうかがいながら書かせてもらいました。パソコンに向かってあれこれ考えていますと、「そういや、『きんこうきょうさま』って郵便局で言われたことがあったなあ」「お店で飲んでいるときに、宗教談議になり、金光教のことについていろいろ聞かれたなあ」など、いろんなことが浮かんできました。その中で、なばり和らぎ落語会でお世話になっている「FLAT BASE」のオーナーさんの「私、金光教のファンになりました」とおっしゃっていた言葉がよみがえってきました。

 そのいきさつについて、よく思い出せなかったことがあったので、オーナーさんに「今回、あれこれ云々があって、文章を書くことになったんやけど、金光教のことでどんなことが一番印象に残ったんですか?」と伺いました。すると、「私、『あいよかけよ』ってことばにとても感銘を受けました。神様と人間がフラットな関係で、お互いを支え合っているって考え、すごいなあと。普通は『神が人間を支配している』『人間<神〉』が当たり前と思っていたけど、人間が神を必要としているのと同じように、神も人間を必要としているって考え方に感動した」とおっしゃいました。私は「人間の親子関係と同じようなもんで…」などと話しました。金光教の考え方を、もっとフラットにいろんな人たちに知ってもらいたいなあと、改めて思わせてもらいました。

 「あいよかけよ」は、もともと備中地方の方言だそうですが、現在は一般用語としては使われていません。この言葉が、一般用語として世間の方々に認知されるようになったらなあと思います。そんな時代が来る頃には、「あっ、金光さんの教会あるで。ちょっと手ぇ合わしていこっ」っていう人が、町にたくさんいるようになることでしょうね。

  「和らぎ」バックナンバーへ