戦争の語り部2世に  教会長
  

  6月23日の沖縄慰霊の日の前後、中学生に、戦争の悲惨さとおろかさについて、ほぼ毎年のようにお話させていただいている。
 そんな中、戦後72年が過ぎ、戦争を直に体験した方のお話を聞くことが、あらためて難しくなって来ていることを感じるととともに、
未体験の自分が、どれだけ戦争について語れるのだろうかということを深く考えさせられた。

 12年前、初めて参加した遺骨収集奉仕を通して、自分の戦争に対する考えが大きく変わったが、ちょうどその年に、学徒出陣を経験
した父が帰幽した。父は、ことあるごとに自身が体験した戦争の恐ろしさを話してくれたが、その頃は正直「またこの話か…」と思っていた。
にもかかわらず、なぜかその内容が鮮烈な記憶として、残っているのである。
 昭和18年の暮れに応召されたこと。最初送られた佐世保方面で、人間魚雷の突撃のための訓練を受けたこと。モールス信号を数日間
ですべて覚えなければならなかったこと。広島に転属になり、特殊潜航艇の乗組員になった時に、「正直命拾いした」と思ったこと。
昭和20年8月6日、瀬戸内海の倉橋島近くで、海上から西方に大きなキノコ雲を見たこと。それが原爆であったこと。終戦を迎え、復員船で
神戸へ向かう途中、もうまもなく港に着くという直前に触雷して船が大破し、仲間が犠牲になったこと…。
 沖縄のことを話しながら、父から聞いたこのことを次の世代にきちんと伝えていくことが大切なのではと気づき、いつのまにか、
彼らに父の話をしていた。

 29年前、学院で修行している時に、広島平和集会に参加し、原爆被爆者の語り部さんから生々しいお話を聞いた。こうした、
被爆者語り部の方も確実に減っていく。そういった話を直接聞いた私たち以降の世代が、2世の「語り部」として戦争の悲惨さを
伝えていかねばならないと思う。

 「戦争を知らない子どもたち」ばかりの世の中が永遠に続くことを祈りつつ。



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