戦後70年の沖縄   教会長

平成17年、戦後60年の年に初めて「沖縄戦没者遺骨収集奉仕」に参加させていただいた。以来、今年を含め7度目の参加となったが、参加のたび、沖縄戦で犠牲になられた方の無念を思うと涙が出る思いにかられる。

 2度目の参加の際、当時小学6年の長男を連れていった。また、4年前には当時中学2年だった二男も参加のおかげをいただいた。長男は大学入学後毎年、友人や金光教学生会の仲間を引き連れて参加させていただいている。本当にありがたいことだと思う。

 現在「南部戦跡国定公園」となっている糸満市・南城市一帯では、未だに多くの戦没者の遺骨が散逸したままで、那覇教会長、林雅信先生が中心となり、沖縄返還以降、毎年2月にそのご遺骨を収集させていただく奉仕活動が展開されてきた。今年は総勢130人が、この奉仕に参加したが、その約四割近くが金光教の信仰とは無縁の「未信奉者」だ。

 亜熱帯林の生い茂る岩礁だらけの道なき道をかきわけて進み、「こんな所に人がいたのだろうか」と思うような場所から、ご遺骨が出てくるのである。亡くなられた方々は、空襲や艦砲射撃、陸上での容赦ない攻撃から、どんな思いで、この密林と岩礁の中を逃げまどわれたのだろうか。

 ご遺骨の他にも、手りゅう弾や砲弾の破片、薬莢など、戦争の遺物が多数出てくる。戦後70年経った沖縄の現実を目の当たりにすると、今、政府と沖縄との間でゆれているさまざまな問題に関して、深く思わされることがたくさんある。

 長男とともに参加した若い世代が、この現実を深く感じ取り、戦争の恐ろしさや悲惨さ、命の尊さを後世に伝えていくはたらきを、ぜひとも現していってほしい。そして、今の日本の平和と繁栄が、沖縄戦で犠牲になられた方々の上にあるということを、ひとりでも多くの人にわかって欲しいと強く願っている。

 金光教那覇教会が中心となって開催される「遺骨収集奉仕」は、来年の42回をもって収束することが発表された。しかし、まだまだ多くの収骨されていないご遺骨がある。
沖縄戦で犠牲になられたすべてのお霊様の立ち行きと、「人が助かりさえすればそれでけっこうです」との教祖様のご神願に少しでも力になれるよう、これからも自分ができることに取り組ませていただけたらと願っている。
 

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