最後まで感謝を  副教会長

 ここ一年ほど前から、私が主に使わせていただいているパソコンの調子が悪くなってきました。
それでもなんとか使わせていただけるうちはと思っていましたが、先日よりどうにもならないような
状況になってきました。とにかくできることをやってみようと、自分なりに調べたり、詳しい方に聞い
たりして、色々試している真っ最中です。

 そんな中で気づかせていただいたことがあります。パソコンの中には、使っていないファイルが
本当にたくさんたまっていました。とくに携帯電話(スマートフォン)とつながっているために、携帯
電話でダウンロードしても、結局自分にとって使い勝手が悪くて削除したアプリの大量のファイル
が、パソコンの中に使われもせずに眠っていました。そのことがパソコンの動作を悪くしていた原
因の一つなのは明らかで、自分の身勝手さに改めて気づかせていただきました。

 私は「使ってみたい」「便利かもしれない」などの欲から色々なアプリを手に入れておきながら、
いらなくなったら携帯電話の上で消去しただけで、パソコンの中のアプリのファイルを消去すること
にまで気がまわっていなかったのです。それに気づかせていただいた時にアプリに「使わせていた
だいてありがとう」という気持ちはあったのかと、自分に対して疑問を感じました。

 食生活についてもまた日頃の消費生活全般にも同じことがいえるのかもしれません。自分の手
にするものはすべて自分の欲を満たしてくれると同時に、自分のために働いてくれているものです。
ですからその役目を果たしていただいたときにこそ、感謝の気持ちが必要なのだと思います。

入れることと同様に、出すこと処分することにまで感謝の気持ちを持ち続けられるように、そして調子
が悪くなってからあわてることのないように、日々稽古にはげみたいと思いました。

 
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