16年1月号のパズルの解説にかえて   近藤佐枝子 

 
今年も昨年と同様のパズルを作ってみました。正直しんどかったですが、直信の先生に触れるいい機会だし、こうもしなければさまざまな本を読み返すこともしないだろう、と自分に喝を入れる気分で作ってみました。いい勉強になりました。ではパズルの解説です。
桂松平先生は、教祖様の42歳の大患の年に山口県に生まれます。材木問屋の家でしたが、不思議なことに、当主が代々今でいう胃がんで亡くなるという宿命をもったような家でした。桂松平先生の父親も胃がんで亡くなり、廃業することになりました。その後、色々なものを売って生計をたてていましたが、そこで知り合った方から教祖様の話を聞き、色々な葛藤がありながらも、このお道の信心を始めます。そして病気の根切れのおかげを頂くのです。
教祖様のもとに初めてお参りされたとき教祖様から、「水を毒と思うな。水は薬という気になれ。」「水あたりということを言うなよ。水の恩を知れよ」というみ教えを頂き、いつも水を気にし、水を毒だと思っていた自分を省みられ、受け止められました。教祖さまがお亡くなりになった後、二代金光様から「小倉の土になれ」と小倉布教を願われ、小倉に布教に出られたわけです。
 佐藤範雄先生は明治の左甚五郎をめざす大工でした。大工といえば当時、日柄方位に固執する仕事といえるでしょう。知り合いの足が不自由だった方から、このお道でおかげを頂いた話を聞き、聞いた教祖様のみ教えが、日柄方位に固執する矛盾をといたものだったことに共感し、翌日には神棚を作り、お祀りしたほどだったのです。
教祖様のもとに初参拝されたとき、「何の願いか」と聞かれ、「願いはない」と答えると、教祖様は「大願成就させる。人を助ける身となれよ」とおっしゃいました。そのときは佐藤範雄先生は左甚五郎になれると、教祖様の願いとは別解釈をします。ですから大工をしながら人助けの道を歩みます。教祖様は順を追って人助けに専念するように伝え、とうとう大工をやめ、取次の道に専念されるのです。
 その後、佐藤範雄先生は道を伝え、広げるということに尽力されていきます。「人が助かりさえすればよい」と道開きには関心を示されない教祖様に、教祖様がお亡くなりになったら「はやり神」でおわってしまうと訴え、このお道が永遠に続くよう願いながら、教祖様がお亡くなりになった後も、教団独立のため力を尽くされたのです。
 今月は、二人の先生について書かせていただきました。押木マス先生、斎藤重右衛門先生については3月号に書かせていただきます。

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