プレゼント  教会長
  

 私は4才のころから、母の思いと私の希望もあり、ピアノを習わせてもらいました。当時のことはよく覚えていないのですが、生まれてからずっと、10才離れた姉のピアノを聞いていた私は、音楽がとても好きだったそうで、遊び弾きをしていたのを見て、母が「習わせた方がよいな」と思ったそうです。

 小学校5年生のころ、姉がエレクトーンをし始めると、それが楽しそうに思え、私もピアノをやめ、難波にあるヤマハのセンターにエレクトーンを習いに行かせてもらいました。小さなころから両親や祖母に連れられて難波教会にお参りすることが楽しみだった私は(おいしいお菓子やお茶がいただけることや、お参りすると褒めてもらえるという不純な目的でもありましたが)、センターの近くにある教会へ毎週お参りするようになりました。姉はその頃から、難波教会の大祭時に、エレクトーン演奏の奉仕をしていました。
 高校生になって、習いに行くのはやめたのですが、姉が結婚し大阪を離れてから、姉に代わって私が難波教会大祭時にエレクトーンを弾かせていただくようになりました(今はそのご用を小阪教会長、久美子先生が務めています)。
 大学に入って、バンドを組むなど、常に音楽と絡んでいましたが、あくまでも趣味の域を超えることはありませんでした。

 金光教教師に補任いただき、名張に来るまでの間、小阪教会のご信徒の、当時4才だった息子さんにピアノを教えることになりました。素直でかわいいその子は、毎週1回、私が来るのを楽しみにしていたそうです。教えるといっても、遊び相手になるようなもので、音符の読み方を教えたり、童謡を一緒に歌ったりという程度でした。

 彼は成人し、ピアノをずっと続けてくれ、今やプロ顔負けの腕前です。そして、英語の教師になり、私と同じ学校でご用をすることになり、吹奏楽部の顧問になりました。吹奏楽部では毎年秋に「ソロとアンサンブルのコンサート」という部内コンサートがあります。今私は、彼とともに同じ場所で、生徒の演奏する色んな楽器に合わせ、ピアノ伴奏をするというお役をいただいています。

 初めてピアノを習ってから49年、子どものころ、こんな形でピアノに関わることは、想像もできませんでした。母の思いや、彼との出会いは、神様が長い時間をかけて、私にくださったプレゼントだと思っています。
 ピアノを通して、さまざまなお役に立つご用にこれからも使っていただけるなら、これほどありがたいことはありません。

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