パワースポットはわが心に   教会長
 
  8月に石山寺と、比叡山延暦寺と、伊勢神宮に参拝した。実は、比叡山には大学時代にドライブウェイを走りに、何度か出かけたことがあったが、延暦寺を訪れたのは初めてで、根本中堂あたりの凛とした雰囲気には、心が洗われる思いであった。京都の有名観光寺院を批判するつもりは毛頭ないが、滋賀の寺院はそれとは違い、何か奥ゆかしさを感じる。仏様に手を合わせて静かに目を閉じると、そこにはことばで言い表せない力を感じるのだ。
 一方、伊勢神宮はというと、外宮も内宮も平日に参拝したにもかかわらず、ものすごい人出であった。4年ぶり、御遷宮後初の参拝となったが、私の目を引いたのは、若い家族連れやカップルが多いことである。
学校の教え子たちも「家族で伊勢へ行ってきた」という話も聞くし、私が伊勢に参拝した同じ日に、卒業生たちが友だち同士で参拝していたという話も後日聞いた。
 若い世代の「宗教離れ」の声が高い中、なんともいえない活気を感じた。もちろん老若男女、善男善女が多く集まる「お伊勢さん」ならではの風景なのだが、異常といえるくらい、若い世代の参拝者の多さが目立った。そのパワーを感じつつ、やはりどことなく荘厳な参道を歩き、真新しい神殿を目の前にすると、そこに引き込まれそうな感覚になった。
 「パワースポットブーム」が叫ばれて久しい。書店には全国のパワースポットを巡るためのガイドブックも目にする。
 金光教の信奉者にとってのパワースポットは、いうまでもなく教会広前であり、本部広前になるのであろう。もちろん私自身、本部にお参りすることで、なによりも力をもらえ、ありがたい気持ちにならせてもらえることは言うまでもない。
 延暦寺にしても、伊勢神宮にしても、金光教本部にしても、世界に類例のないパワースポットなのだと思う。しかし、金光教祖は、140年前にもっとも身近な「パワースポット」を私たちに教えてくださっている。
「おかげは和賀心にあり」=私たちの心に、何よりも効き目のあるパワースポットがあると。
ご祈念のたびに、天地書附を拝し、そのパワースポットが最大限のエネルギー出力となるよう、「和らぎ賀(よろこ)ぶ心」が生活の中で発動できるよう、こころがけたいものである。
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