お役に立つために  近藤佐枝子


 最近子供たちと、子供たちが生まれた当時の話をしたりすることが多くなった。これも何かのご時節なんだろうか…。
 長男に関しては、長男も未熟児ではあったが、面白い話や、出産のときのエピソードなど笑い話が多くなるが、超未熟児で、今は完治しているものの、先天性の心臓疾患を持っていた二男に関してはそうはいかない。長男のいる前でも、お医者さんや看護師さんから聞いた話や、当時私がどう思ったかなどを、なるべくつつみ隠さずに話すようにしている。
 なので、二男は自分が生まれたときの状態や様子を、自分なりに理解しようとしている。そして、生まれつき体の弱い人や、病気の人の話を聞くと心痛めることも多いようだ。

 先日、先天的に目の不自由な人の話をテレビで観た。「この人かわいそうやなぁ」と言っているので、二男が未熟児網膜症で、呼吸器をつけなければいけなかった経緯と、もしかしたら目が見えなくなっていたかもしれないことを話した。
 「僕って奇跡なんだなぁ」と言っていたので、「たくさんおかげいただいて、今生かせてもらっているんやで」と話しておいた。そして、人のことをかわいそうと思えることはすばらしいことだということ、それが神様の心と一緒なのだということも話した。
 二男はどう思ったのかわからないが、また黙ってテレビを見続けていた。

もう少し二男が成長したら、なぜ二男の言う奇跡が起こったのか話し合いたいと思う。神様の、そして人のお役に立たせて頂くために、命を頂いているのだということ。そして、人間はそのために生きているのだということを、理解してくれたらいいなと思う。
 
大嫌いな勉強も、その可能性を広げるために必要なものなんだよ。そして両親も兄もそういう道を歩んでいるんだよ。ってことも付け加えて。

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