思い通り≠おかげ   副教会長

 「思いどおりになっていないから、うまくいっていない」などと聞くことがある。最近もある方がそんなことを言って、落ち込んだ様子でいた。
 しかし、 実際生活していく中で、自分の思いどおりにならないことなど、たくさんあるような気がする。人間が勝手にその中から取捨選択して、へこんだり落ち込んだり腹を立てたりしているのだろうか。
 
 自分のことを考えてみると、大学受験も、就職も志望していたとおりにはならなかった。大学受験は、諸事情があり、第一志望の学校は、受験さえできなかったし、就職は、第一希望のところは不合格だった。しかし、それがあっての今があるのだろうし、入学した短大では、今の自分に通じるさまざまなことを学ばせてもらって、結果的にはとてもありがたかったと思っている。

 当時、信仰というものを全く知らない自分であったということもあって、随分落ち込みもし、苛立ちもしたが、思い返すと、当時の自分の選択は正しかったのだと、本当に感謝している。

そのような中、ありがたいことに、私たちはこのお道を信仰させていただいている。そして、日常の様々なことを金光様が、親先生が、教会長先生はじめ、たくさんの方々が祈って下さっている。
そのさなかで起こってくる、思いどおりにならないこと。それは、うまくいっていないのではなくて、うまくいっているのだと思う。というより、すっと正しい道に導いて下さっているのだと思う。
 それくらい神様やたくさんの方々の祈り、そして自分の祈りを信じて信仰生活を送っていきたいものだと思う。
 
信心していれば、目に見えるおかげより目に見えないおかげが多い。知ったおかげより、知らないおかげを受けることが多い。後で考えてみて、あれもおかげであった、これもおかげであったということがわかるようになる。(津川治雄の伝え)

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