沖縄戦終結70年の日を迎える   教会長

 先月に続き、沖縄戦のお話になりますが、6月23日という「沖縄終戦の日」を、ひとりでも多くの方に知っていただきたいという願いをいっそう強く持たせていただいています。そこで、今年の遺骨収集に参加してくれた金光八尾卒業生で、現在大阪教育大学に在学している川端皐月さんが参加体験記を寄稿してくれましたので、紹介いたします。

沖縄遺骨収集に行って  川端皐月

私が今回の遺骨収集に参加させていただいたきっかけは、近藤先生のFacebookの記事でした。普段あまりFacebookを見ないのですが、偶然開いた時に先生の記事を見て、興味を持ちました。Facebookで連絡をとることに少しためらいがあり、その時すぐには連絡をしなかったのですが、後日大学の実習の相談をしに母校へ行こうとした際に偶然近藤先生にお会いし、そこで参加を決めました。
機体トラブルのため、搭乗する飛行機が伊丹空港を3時間遅れで出発し、初日に予定していた平和祈念資料館見学ができず、残念でした。私は今回金光八尾中・高校の卒業生という形で参加させていただいたので、近藤先生以外の参加者の方々とは初対面でした。しかし本当にあたたかく接していただき、金光教学生会のみなさんもたくさん話しかけてくださって本当に嬉しかったです。

2日目、ご祈念の後作業がスタートしました。2月とは思えないほど沖縄は暖かく、作業をしていると暑いと感じるほどでした。準備にあたって事前に近藤先生からお話を聞いたり、HPを見たりしていましたが、想像していたよりサンゴ礁の岩肌はゴツゴツしていたし、トトロに出てきそうな植物もたくさん生えていました。岩と岩の間を通らなければならないところや、人一人が通れるか通れないかのところを歩いたりしました。収集場所に入る前に浮石に気を付けてください、枯れた木に体重を預けないように、と言われていた意味が分かりました。班の先導を務めてくださった方が「ここを当時の人は裸足で逃げてきたりしていた」とおっしゃっていたのを聞いた時はなんとも言えない気持ちになりました。

 初日はベースキャンプの近くで作業をしました。熊手を持ってひたすら地面を掘るのですが、一人で掘っているとだんだん無心になっていきました。ご遺骨を見つけることは出来ませんでしたが、地面の中から昔のボタンが出てきたりしました。風に運ばれたのか、そこに人が来たのかはよく分かりませんが、今は人が入らないような場所だったので、見つけた時は不思議な感じがしました。午後からは学生会の方々と、以前たくさんご遺骨が発見された場所に行き、各自が散らばってひたすら地面を掘りました。掘っても掘ってもひたすら石や木切れでしたが、動物の骨を見つけました。学生会の方のお一人がご遺骨を発見し、近くにいた学生で収集させていただきました。私は収集したご遺骨を持つ役割でしたが、両手にご遺骨を持ち、戦後70年経ってもまだご遺骨が残っていることを実感しました。1日目が終了した時点でズボンは何か所か破れていたし、靴も底が朝よりもすりへっていました。とにかく普段しないことをたくさんした気がしてとても疲れたのと、筋肉痛がすぐにきました。

 3日目も前日と同じように朝からご祈念をし、班に分かれて作業を開始しました。昔の日本軍基地の跡のような場所を見たりしました。基地といっても逃げてきて身を隠すためのようなもので、比較的四角い石を積んで壁のようにしていました。石以外何もなく、何日も隠れていることは無理だろうな、と思いました。午後からは金光教那覇教会長、林先生のはからいで平和祈念館を見学させていただきました。平和祈念資料館の展示はすごくリアルというか、写真で見るのがつらくなるものもありました。当時の子どもが着ていた服も展示されていましたが、その前に立った時、鳥肌が立ちました。収集場所に入った後に平和祈念資料館に行ったので、ガマ(自然壕)の中の説明をしてくださった資料館の方のお話も自分の中にすっと入ってきました。
今回の遺骨収集に参加させていただいたことで、本当に貴重な体験をすることができたと思います。大袈裟かもしれませんが、今の自分の中の価値観や考え方に大きく影響していると思います。学生会の方々、教会の先生方などたくさんの方に出会うことができ、一緒に遺骨収集をさせていただいたこと、あたたかく接していただいたことは忘れないと思います。お世話になりました、ありがとうございました。次回も参加させていただきたいと思いました。最後に、準備の段階からたくさん気にかけてくださり、お声掛けいただいた近藤先生、本当にありがとうございました。


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