沖縄戦没者遺骨収集    近藤 悠人  

 二月十八日から二十一日の四日間、沖縄戦没者遺骨収集に参加させていただくため、沖縄へ行った。
 初日、沖縄の南風原町にある南風原壕群へ見学に向かった。戦争当時南風原は陸軍病院としておかれていたようである。私たちはその壕群のうちの一つで、現存している二十号のなかへ実際に入り、当時の様子を直接肌で感じた。先述したように、そこは陸軍病院であり、多くの負傷者が訪れていたようだ。ただ病院と言っても、当時は十分な処置は行えず、治療方法も、負傷した部分を麻酔なしで切り落とすというものであった。このことは、私の心に深く突き刺さった。また、重傷者は、青酸カリと呼ばれる即効性の強い毒薬で自決を強制されていた。本来、命を救う施設であるはずの病院で、人の命が捨てられていたという事実を、私は今でも信じたくないものであると感じる。
 
その後、私たちは南風原文化センターへ向かった。そこでは、戦時の南風原での様子を、模型等によって生々しく再現されていた。私は、戦争によって南風原で亡くなられた人たちの名前の掲示の大きさに、目を奪われた。そしてしばらくの間、私はその名前の数に圧倒され、何も考えることができなくなった。生まれて初めて、本当の意味で夢中という感覚を覚えたと思う。

 二日目、三日目は遺骨収集を行った。自身としては三回目の参加となったが、やはり何回参加しても、開会式の御祈念で自然と初心に戻るものであると実感した。全体として今年は遺骨がほとんど出ず、遺憾に思っていた。しかし、那覇教会の林先生の「今年捜索した地域は、完全に遺骨が収集されていると言える。これは大変ありがたいことである」という言葉に、何とも言えない喜びを感じた。そして、先述した林先生の「これ以上捜索しても、遺骨が出てこないという状態にしたい」という願いに基づき、これからもできる限り参加させていただくとともに、真の世界平和を願おうと思う。

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