沖縄戦没者遺骨収集奉仕に参加して

                          近藤 悠人(小学校6年)

 ぼくは、2月17〜20日に、沖縄へ行きました。61年前、沖縄の戦争で亡くなられた人たちの遺骨を拾うためです。まず、17日に平和祈念公園にある平和資料館に行きました。ここでは沖縄戦の様子や、いろいろな資料を見ました。沖縄の人たちが逃げ込んだガマ(自然ごう)の中で、赤ちゃんの泣き声をもらさないように、必死に手でふさいでいたそうです。もし、泣き声が止まなかったら、一緒にいる日本兵に殺されたそうです。ほんとうは味方なのに、とてもざんこくなことをするなあと、つらい思いになりました。
 他にも、手りゅう弾で自殺したり、手りゅう弾を持って、敵戦車にぶつかっていったりしたそうです。あと、米軍の攻撃以外に困ったのはマラリアという病気です。ぼくは、戦争中に病気で死んでしまうというのを初めて聞いて、びっくりしました。
 18日の遺骨拾いでは、草がすごく生えた、道のない山の中を入っていきました。この日はあまり見つかりませんでした。でも、手りゅう弾の不発弾を見つけました。持ってみたけど、すごく重かったです。とてもびっくりしました。
 19日の作業では、大きなガマを見つけ、その中で遺骨を探しました。とても真っ暗でした。そこでぼくは、かいちゅう電灯を2つ使って、骨のはへんをいっぱい見つけました。最初、そのガマに入ったとき、ちょっと大きな不発弾が2つ足元に転がっていたのでとてもびっくりしました。一緒に行った、兵隊に行ったことのあるおじさんが「これは、信管があるから、爆発する可能性もあるんやで」と教えてくださいました。最後の方で、防毒マスクや鉄ぽうの弾が10発ぐらい見つかりました。
 20日は海軍ごう、ひめゆりの塔、島根の塔に行きました。海軍ごうにいた兵隊さんたちは、そこがせますぎて入りきれないので、立ったまま寝ていたそうです。
 ひめゆりの塔では、昔の教科書、医りょうきぐ、女学生のごうでの様子を見ました。女学生がお医者さんと同じような仕事をすること、重傷で動けなくなったけが人を見捨てていくことに、今では信じられないことだと思いました。
 ぼくは、この4日間で、色々なことを体験し、学びました。戦争は絶対起きてほしくないです。

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