何が正しいか       教会長


 新年明けましておめでとうございます。本年も「和らぎ」をよろしくお願いいたします。

 年末に「道徳×SMAP」という番組を家族で見ていた。SMAPの香取慎吾さん、草なぎ剛さんに、「どちらが道徳的に正しいか」という二択問題に解答させるというものだが、「それはおかしいやろう」と思う方が「道徳的に正しい」という答えになるのだ。制作者の意図として、うちのように家族で議論しあう場を持たせようとするねらいがあったのだと思う。そうであれば、うちはまんまとツボにはまったことになるのであるが…。

 一つ例題をあげると…
「学校で、ある児童が先生の大切にしていたコップを割りました。その時…。
@クラスの子全員で「だれが割ったかは、みんな黙っていよう。約束だよ。」と取り決めたが、正義感の強いある女の子が「先生、○○くんが先生のコップを割りました」と約束を破って、みんなの前で言いました。
A正義感の強い女の子も、みんなとの約束を守り、先生に何も言わずに黙っていました。
みなさんは、@とAのどちらが道徳的に正しいと思われるだろうか(テレビをご覧になっていた方はご存知でしょうが)。

道徳的に正しいという観念の根底に「ひとりでも多くの人が幸せな気持ちになるように、自分はどう動くべきか」「一人でも多くの人に『正しい生き方』を伝えるためにどう動くべきか」「いかに自己中心的な考えを棄て、他人中心に物事を考えるか」ということが含まれているというのだ。以上の観点から、例題の正解は、@ということになるというのだ。しかしこれにはうちの家族一同、異論を唱えた。「この女の子、これからずっと、みんなと仲良くしてもらえへんやん」と。道徳的なものさしによる「正しさ」の判断から、人間関係の孤立を招く場合もある。しかしこの例題では「悪いことをみんなで黙って見すごそう」という、負の連帯感を持たせることを戒めていた。つまり、女の子が自分だけを良く見せようとする意思で、先生に報告したなら問題がある。「みんなが道徳的に生きるため」と、他者の将来のことを考えて報告したというのなら、正しいということになる。

 人の欠点を見つけてそこを指摘するとき、自分の思いを押しつけ過ぎてはいないだろうか。「人心」を去って「神心」で人と接するように心がけたい。おのずと「正しい判断」ができるようになると思う。「神人の道」を開く信心の展開ができますように。

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