何度でも    近藤 佐枝子
  

 先日、ある信者さんから勧められた映画を見た。『アメリカンヒストリーX』という映画で、人種差別(とういうよりは人種間の嫌悪)から起こる悲劇が描かれたものだった。主人公が父親との関係の中で、白人以外の人種に嫌悪感を抱くようになり、憎しみ、恨み、怒りのあふれかえる正義のもとに、破壊活動をし、殺人までおこしてしまう。また、それに対して意見するものには、家族であろうがかまわず攻撃し、持論をぶちまける。最終的には主人公は考えを改める。しかし、主人公からにつながった別のところで悲劇が起こるという話である。

 暴力的なシーンや、目をそむけたくなるようなシーンが多い映画である。自分がこういう映画を最後まで見て、後に引きずるとは思わなかった。そんな映画だった。でもすごく悲しかった。特に主人公が自分の正義を主張するために、大切な家族に怒鳴りつけ、つかみかかるところには号泣してしまうほどだった。怒りや憎しみはとても悲しいものだと実感した。

 以前、幸せは連鎖反応をおこすということを、この和らぎに書いたことがあった。しかしこの映画を見て、憎しみ・恨み・怒りのような負の感情も連鎖していくんだと思った。そしてそんな感情はどんどんとふくらみ、伝わっていくうちに大きくなっていく。だからこそそれを断ち切らなければならない。しかし、厄介なことにそんな感情を断ち切ろうとして、人やものにぶつけてもきりがないし、後味の悪い後悔しか残らない。

 DREAMS COME TRUEに『何度でも』という曲がある。

〜前略〜

何度でも何度でも何度でも 立ち上がり呼ぶよ

きみの名前 声が涸れるまで

落ち込んでやる気ももう底ついて がんばれない時も

きみを思い出すよ

10000回だめで かっこ悪くても

10001回目は 何か 変わるかもしれない

〜中略〜

この先も躓いて傷ついて傷つけて終わりのないやり場のない怒りさえ

もどかしく抱きながら どうしてわからないんだ?

伝わらないんだ?喘ぎ嘆きながら

自分と戦ってみるよ

10000回だめで 望みなくなっても

10001回目は 来る

きみを呼ぶ声 力にしていくよ 何度も

明日がその10001回目かもしれない…

(作詞 吉田美和 『何度でも』より一部抜粋)

この曲は繰り返し聴く曲の中の1曲で、いつも元気をもらっている。

色々なことがあってもきみ=神様を思い出し、神様に向かい、神様に祈ることを力にしていくような、祈り方をしていきたいと思う。そして、祈って、祈って、祈りぬく。それは、10001回目を信じきることができるかどうかの自分との戦いだと思う。

怒り・憎しみもそんな自分との戦いの中で、断ち切れるものではないだろうか。



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