名張布教百年     教会長
  
 大正9(1920)年6月24日、当時の名張町内のあるところに、初めて金光様の教えを伝えるおうちができました。そこに福井県から、65才の御年で単身でご用に来られた河野源吉先生。当時どんな思いで名張にお越しになったのでしょう。

 その日から、先月6月24日、満百年を迎えました。正式な手続きで教会になっていたわけではないので、当教会では、記念祭を「開教」で数えています。なので、記念祭は3年後になるのですが、金光様の教えを伝える先生が、初めて名張に来られたという意味で、この日は大切な日だと、改めて思わせていただきました。

 きっと、色んなご苦労が多々あったことと思います。布教から8年、昭和3年7月5日にご帰幽になられますが、その間にご縁を頂いた信者さんが多数おられたことに、先生のお徳が偲ばれます。
 後継の問題で、たびたび教会は存続の危機を迎え、さらには都市計画による移転立ち退きの要請が来ましたが、そのたびに不思議なおかげをこうむり、今日に至ります。

 私自身、初めて名張にご用に就かせていただいた時は、「いつまでできるやろか…」という思いがあり、俗に言う「骨を埋める覚悟で」など、正直言って毛頭ありませんでした。しかし、何年か経った頃から「名張の町を好きになろう」と思うようになりました。『好きになると、その相手を大切に思うようになる。すると、相手からも大切にされる。町を好きになると、町を大切にできる。そして、町に好かれる自分になる。』

 今は名張の町が大好きです。初めて会う人に、名張の町を紹介すると、自慢ばかりしています。結局は田舎自慢と、意外と大阪に近い自慢ですが…。その名張の町のために、ますますお役に立てる教会になれるよう、初代先生の名張布教の志を、これからも受けていけるよう、101年目からのおかげをこうむりたいと願っています。




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