み教えは心の救急箱   近藤正明

今年は教祖様が亡くなられて120年目の節の年を迎えている。教会では毎月1回、「教祖様勉強会」を、教祖様の信心に立ち返ることを願いに開催させて頂いているが、改めて知らされることが多いのには自分自身驚いてしまう。教祖様のみ教えを色々と自分なりに頂いているうちに、ふとこんなことを考えた。
 日々の生活を送る中で、小さなけがをしたり、ちょっとした腹痛・頭痛や発熱などを起こすことがある。そんな時はお医者さんにかかるまでもなく、家庭にある救急箱にお世話になるであろう。救急箱には、消毒剤やばんそうこう・胃薬・解熱、鎮痛剤・下痢止めなど、さまざまな薬があり、ちょっとしたけがや病気の時にとても重宝する。しかし、それでは間に合わないって場合になると、病院へかかり、お医者さんのお世話になる。
さて、その日常生活でもっとありがちなことは、自分の思うようにうまく行かないことがあり、いらいらしたり、ご機嫌ななめになったりすることであるが、そんな時、みなさんはどうするだろうか。
人に相談する、運動をしたり音楽を聴いたりと、あれこれ気分転換の方法を試みる、ひたすら考え込むなど、それこそ人により様々であろうが、私は昔、ある話を教友から聞き、なるほどと思ったことがあり、本当にどうしようもなくなったときは実践するようにしている。それは、腹が立ったときやイライラしている時に、自分の顔を鏡で見る、ということである。
その教友は、「鏡は自分の心を直す道具や。『かがみ』の真ん中になんていう字がある?『が』があるやろう。かがみをみて『が』つまり『我』を取るけいこをするんや。かがみから『が』を取ってみ。残った字は『かみ』や。つまり『神』様のような心になる。『神』はいつも人のことを心配し、人の助かりのためにおはたらきくださるもんや。そういう心になるけいこをする道具が『かがみ』なんやで。」と話してくれた。
教祖様のみ教えに「昔から、親が鏡を二つ買うて持たして嫁入りさせるのはなにゆえか。これは顔をきれいにするばかりでない。第一、その家を治めに行くのである。心につらい悲しいと思う時に、鏡を立て、必ず人に悪い顔を見せんようにし、その一家を治めよということである」(山本定次郎伝)とある。
心につらい苦しい、思い通りに行かない時こそ、教祖様のみ教えに触れてみてはいかがであろうか。「教典」「天地は語る」を開いて読んでみることで、思わぬ展開を見るかも知れない。そう、み教えこそ「心の救急箱」なのである。


 
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