真をお供えする   近藤正明

 金光教の祭典に、必要不可欠なものの一つに、「祭典楽」がある。普段は耳慣れない「笙」(しょう)や「篳篥」(ひちりき)「龍笛」(りゅうてき)「琴」(こと)の音色が祭典に合わせて奏楽されることにより、心を洗われ、正されるような気持ちになることもあると思う。
 最近は、これらの和楽器による奏楽に加え、洋楽器による奏楽も祭典の中に用いられるようになった。例えば、春の天地金乃神大祭に合唱で歌われる「今天地の開ける音を聞いて目をさませ」・「神人の栄光」などは、ピアノと電子オルガンによって、演奏される。この和楽器と洋楽のマッチがなんとも言えない祭典時の荘厳さを醸し出しているように思える。祭典では、さまざまなお供え物をするが、こうした「音楽」も立派なお供え物の一つであろう。
 さて、6月8日は、ご本部で教団独立記念祭が仕えられた。この祭典では、何年か前から金光学園の吹奏楽団による演奏奉仕が続けられ、儀式に花を添えてくれている。さらに、3年前から前日に「前夜の集い」として、金光教関係の学園の吹奏楽部によるコンサートが催されるようになり、相当な盛り上がりを見せるようになってきた。特に本年は、「ミュージックフェスタ」と題し、金光学園・金光大阪・金光八尾・金光藤蔭の4校(他に兵庫県福崎教会・福岡県前原教会の吹奏楽団)が一堂に会して、本部広前祭場をコンサート会場に見事な演奏を繰り広げてくれた。ここで私が毎年、何よりも感動するのは、全員による合同演奏「神人の栄光」と「SORAN」である。
 私は毎年彼らが祭場の殿上という、いわば「神前」に上がって荘厳に奏でる「神人の栄光」を聴き、歌いながら熱いものがこみ上げてくる。その一番の理由として、「神人の栄光」は、総勢約400人による演奏であるが、学園関係の吹奏楽部員の9割以上は、金光教の信仰とは無縁の中・高校生たちであり、(特に大阪の三校の生徒たちは、入学まで「こんこう」と読めない生徒も多い)その彼らが一生懸命に演奏してくれるからである。金光八尾の吹奏楽部員たちは、異口同音に「オレ(うち)は金光教の信者とちゃうけど、神人の栄光は好きやわぁ」と言ってくれる。ある生徒に「どこが好きか」って聞くと、「なんでかわからんねんけど、心に響くねん」と答えてくれた。そういう事情を知っているだけに、余計感動してしまうのである。また「SORAN」は、金光大阪の生徒を中心に毎年振り付けにアレンジを加え、音楽と共に盛り上げてくれる。
 彼らは、発表の場を与えられる喜びを感じると同時に、その場で一生懸命に自分たちの演奏をしてくれる。神様へのお供えという意識はほとんどないであろう。しかし、これこそ、神様への一番のお供えではなかろうか。「人が真から供えるのは神にも喜ばしい」(天地は語る194)

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