質問:今年から高校の教師になったのですが、生徒とのコミュニケーションがうまくとれません。私としては万全の準備で授業にのぞみ、当たり前のことを指導しているつもりなのですが、言うことを聞かない生徒と、すぐに言い争いのようになり、あとの関係がまずくなってしまいます。(24才・新米教師)
答え:10数年前、私もちょうど教師になって2年目の時、初めて「宗教」という授業を担当することになり、「今日はこれだけ話をしてやろう。今日はこんなことを教えてやろう」なんて意気込んで授業に行きました。すると生徒は居眠りを始めるわ、他教科の“内職”をするわ、おしゃべりに興じるわで、ずいぶん手を焼き、また悩みました。そんな時、「先生、先生と言われるけど、この生徒たちより少し先に生まれただけの同じ人間に、『教えてやろう、話してやろう』なんてことができるのか。『話をさせて頂く』『教えさせて頂く』のではないか」と気づかされました。それからは、最初緊張してできなかったのですが、授業の時はできるだけ生徒たち一人ひとりの目をみながら話すようにこころがけ、心の中では「どうか私がさせて頂く授業を通じて、生徒たちが世のお役に立つ人にならせて頂けますように。その尊い御用にお使い下さい」と念じながら教室に向かうようにしました。
その頃から、不思議に居眠りや私語をする生徒が減り始めて、話に乗ってくる生徒が増え始め、いわゆる対面通行の授業が少しずつですが、できるようになってきました。
また、生徒が何かの相談などで一対一になって話をする時は、自分の視線を生徒の視線よりも同じ位置かむしろ低くなって、話すようにしました。そして心の中で「私もあなたと同じ、何もわからない人間だから、一緒になって考えようね」「私は君の味方だからね」などと心の中で念じながら接することを心がけました。
もちろん、今もなかなか自分の思い通りにいかないクラス、授業があります。しかし、未熟な自分だからこそ、教育者として「生徒と共に育つ」ということ。教える、育てるはもとより、「生徒から教えられ、育てられる」ことを願って御用をさせて頂いております。
よくよく考えてみますと、家庭における子育てもこれと同じことが言えるでしょう。血のつながったわが子であればあるほど、「うちの子供」「自分の子」という思いが強くなります。確かにそうにちがいはありませんが、親としてはもちろん、神様からの大切な氏子を預かる一人の人間として、子育てという責務を果たしていかなければならないと思います。
ともあれ、教師は神様の氏子を一手にあずかる、とても大切な御用です。四代金光様は、「育ちゆく もののお役にたつことを 喜びとなし われも育たん」というお歌を詠んで下さっています。ともにおかげをいただきましょう。
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