「甲子園に恋をした」          教会長         

  今月の題名は、大阪ABCテレビの、夏の甲子園のキャッチフレーズである。(ABCさん、流用してすみません)

 金光大阪高校野球部が悲願の甲子園初出場を果たし、初戦敗退という残念な結果にはなったが、私たち信奉者や、関西金光学園の三校に大きな夢を与えてくれた。
 個人的には、阪神タイガースの応援で過去何度となく甲子園を訪れているが、高校野球の観戦で、夏の甲子園へ行ったのは生まれて初めてである。猛暑の中、野球部員はもとより、在校生や観客が、吹奏楽部の演奏に合わせて満員のアルプスで一糸乱れぬ応援を送る姿に、グランドで精一杯のプレーを展開する球児たち。見ているだけで感動があふれてきた。まさしく「甲子園に恋をした」感覚をおぼえた。

 金光大阪の野球部員は、甲子園出場当時131人。そのうち甲子園のベンチに入れるのは、18人である。もちろん、最後の夏となる3年生部員の多くが、ベンチ入りを果たせずにアルプスで応援する姿が印象に残った。
 先日、野球部長の桜井富男先生と、勇退した3年生部員2名に話を伺う機会があった。
部長はじめ、監督、コーチ、部員の中に、本教の信奉者はほんの数名。そんな彼らが、大会前と後に、教会参拝をする。その際、「心の中で、しっかりと自分の願い=目標を持って神前に向かいなさい」と指導されているそうである。
 その意義は、「神様に願うということは、自分に約束することだ。その約束を果たすために、しっかりと目標を持つこと。そしてそれに向かって、自分がどうすべきか、何をやるべきかを考えて、目標達成できるように」ということである。
 これは、私たちにとっても大変重要なことだと感じた。ただ、「こうありたい。こうしてほしい。」と神様に願いっぱなしにするのではなく、願いに沿って、具体的に自分がどう努力するか、がポイントである。

 金光大阪の野球部は昨年、大阪桐蔭高校に大阪予選の決勝で、サヨナラ負けを喫し、あと一歩で甲子園へ行けなかった。その悔しさをバネに、「大阪桐蔭に勝たねば甲子園はない」と、大きな願い=目標を掲げ、大願成就を果たした。その願いをかなえるために、彼らは血のにじむような練習をこなしたにちがいない。
 練習場所も、他の私学のように野球部専用グランドがあったり、室内練習場があるわけではない。サッカー部やラグビー部とグランドを譲り合って、たくさんの部員が限られた時間での練習である。

 神様は、正しい努力をしている=願いを持つ人に、願い以上のものをお授け下さるということは、本当のようである。とにかく、金光大阪野球部のみなさん、感動をありがとう。


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