この町とともに      教会長

 
先日、私がご用頂いている金光八尾高校の先生が、名張の町を散策に来られた。その日は地元旧町の秋祭りの日でもあり、神輿やだんじり、ふとん太鼓の行列にずいぶんにぎやかな一日だった。その先生はたいそう名張の町を気に入ってくださり、帰りに教会へ立ち寄って、たくさんの写真と道中記を見せ、聞かせてくださった。
 名張駅を降りるとすぐに「観阿弥像」が立っている。能楽を立てた観阿弥は伊賀の出身で、名張で初めて能舞台を創座したことで知られているが、このことがあまり有名ではない。先生はこのことをご存じではなく、駅で像を見て初めてお知りになった。

 続いて町を歩かれ、秋祭りの主人公、宇流冨志禰神社へ。延喜式神名帳にも記されている、伝統ある神社で、地元では「お春日さん」と呼ばれている。
 その後は、名張言葉で「ひやわい」(路地のこと)と呼ばれる狭い町並みから、藤堂邸屋敷(陣屋の一部)、町かど博物館として開放されている酒屋さん、テレビ「火曜サスペンス」のロケ舞台になったお菓子屋さん、日本推理小説のパイオニア、江戸川乱歩の生家などを歩き回られ、それぞれのお店の主人や、町行く人といろんな会話を楽しんだことをお話くださった。
 お話を聞きながら、自分を省みると、名張に来て15年半が経つが、自分の住む町を、散策目的で歩いたことがない。どの辺に何があるかぐらいはわかっていても、そこの人々と話をすることがない。もっと地元を知らなければいけないなあと考えさせられた。

 金光教祖は、70才でお亡くなりになるまで、17才で伊勢参り、33才で四国めぐりをされた以外、ほとんど村を出られたことがない。46才以降は、まさしく地元密着で人助けのご用を貫かれた。村人との人間関係をなにより大切にされ、隠居されるまでは村役人も頭が下がるほどの活動をされていた。自分も、教祖様の足元にも及ばないが、機会があれば、名張の町のためにお役に立てるご用にお使いいただき、この町とともに発展する教会となればと、念願している。
 教会の一筋西側には「初瀬街道」が走っており、昔、伊勢へ向かう人々が旅の疲れを癒したであろう、旅籠の風情がいまだに名残をとどめている。
 教祖様が17才の時に「おかげ参り」で伊勢へ向かわれた時、ここを通られたのだろうか、と思うとなんとなくうれしく思えるのである。
 

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