「心をこめたおつきあい」   教会長


 ピアノの発表会なるものに、30数年ぶりに出た。二男が昨年来、ピアノを習っているのだが、彼にとって初めての発表会出場であり、なぜか私にまで一緒に出場してくれという。
 ピアノを幼少時から習っていた私は、多少なりともピアノに対する心得はあるものの、さすがにわが子と出場することには、照れくさいやら恥ずかしいやらという気持ちが交錯して、少々怖じ気づいていた。しかし、ピアノの先生が、「お父さんと息子さんで連弾するというのはとても珍しいし、是非協力してください」などと言われ、断れなくなってしまった。おまけに保護者有志による「トーンチャイムコンサート」にまで引っ張り出される始末。もうなるようになれ、と思いつつ、どうせやるならと、子ども以上に楽しんで出場させていただいた。
 そんな中、子どもたちの演奏を聴いていると、鍵盤とにらめっこしながら、一生懸命に難しい指運びをしている子。あるいは、緊張しつつも発表会を楽しんで弾いている子。時々間違っても、心に響くような音を響かせてくれる子など、色々な子がいる。でも私が聞いていて、本当にいい演奏だなあと感じたのは、3番目の「間違って弾くことがあっても、心に響く」演奏である。そんなことをふと感じながら、演奏を聴いていた。
 ピアノは弦をはじいて音を発するのであるが、ものすごく事細かに強弱が表現される。また音の固さややわらかさが聞き手に伝わる、とても不思議な楽器なのである。いらいらしていたり、気持ちが散漫な時に演奏すると、もろに音に出る。もちろん、緊張や一生懸命さもしっかり表現される。
 どんな楽器でも、演奏者の気持ちが音にこめられるのには違いないだろうが、ピアノほどストレートに弾き手の心が、聞き手に伝わる楽器は他にないのではないかと私は思う。
 さて、私たちが普段の生活している中で、あらゆる人と会話が交わされるが、その際、相手と心を込めたコミュニケーションをいつも取れているだろうか。うわべだけで何気ない会話をしてはいないだろうか。何気ない会話で「心が込められているか、ないか」は意外に伝わるものである。相手の話はいつも心で聞き、そして心を込めて話す。これを心がけたいものである。「人は見た目が9割」という本が売れているそうだが、「見た目」と「心のこもり方」は共通だと思う。このようなことを書いている私自身が、一番心がけなければならないと思っている。 

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