記念祭まであと50日をきりました  教会長    

 平成5年3月、私たち夫婦が名張教会へご用に赴いて1年足らずの時、新婚旅行ということで北海道へ行きました。富良野でのスキーを満喫し最北の町、稚内での観光に向かう道中、旭川駅で列車の乗り換えにだいぶん時間がありました。「そういえば旭川には教会があったなあ」。ふと、途中下車してタクシーに乗りました。先生にもお会いしたこともないし、突然参拝しても大丈夫だろうかとドキドキしながらの初参拝。とても明るく気さくな教会長先生が応対してくださいました。私たちが新しい土地で教会ご用に就いた話をすると、先生も数年前、ご本部のご用を退かれて、教師が不在になった旭川教会にご用に赴かれたとのことでした。厳寒の、しかもご本部からはるか離れた教師不在となった教会に布教に来られ、名張とは比べものにならない大変なご苦労をされているのだろうなと思いました。

 わずかな時間でしたが、とてもたくさんお話をした記憶があります。
 翌月から教会だよりの文通が始まりました。とはいえ、名張教会『和らぎ』は、平成5年2月で発刊第2号…。いつまで続くやらと思いつつ、先生も毎月、旭川の教会誌を送ってくださいました。以来31年、毎月の文通が続いています。

 8月下旬に妻と北海道旅行をさせてもらいました。そして30年ぶりに旭川を訪れました。
2泊3日の弾丸ツアーで、旭川へは2日目に宿泊したものの、教会へお参りする時間などないかなあと半ば諦めていたのですが、3日目の朝早く目覚めた私は、散歩がてら教会をめざしました。北海道なのに、旭川なのに、朝からとても暑い…教会に向かって歩き始めたら、手をあげもしないのに私の真横にタクシーが停まりました。「どこまで行かれますか?」と聞かれたので、「本町まで」というと、「暑いしどうぞ乗ってください」と運転手さんの言われるがままに乗車。「こんなに暑い旭川は経験がない」と話を聞くうちに教会へ着きました。

 懐かしかった〜。30年前もそうでしたが、活き活きした感覚を覚えるお広前でした。先生は変わらずとてもお元気そうでした。とはいえ、大病を克服されたとのこと。わずかな時間でしたが、先生ご夫婦とお会いでき、本当にお参りできてよかったなと思いました。この出会いも、まさしく「神縁」です。「神にとって10年はあちらを向いてこちらを向く暇もない」というみ教えがありますが、30年前がついこの間のように感じました。

 平成5年に開教70年祭を仕え、今年は開教100年。30年間、神様の御心にとうていかなわないであろう、きままなご用のあり方でしたが、亡き両親や親先生はじめ、信徒の皆さまのお祈り、町の方々のあたたかい思いをもって、まもなく記念祭の日を迎えます。神様に喜んでいただける、そして皆さまがうれしく楽しくありたがい祭典を、ともどもに
お迎えさせていただきましょう。


 
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