記念祭まであと111日    教会長 


 7月28日、実家の小阪教会で、私の祖母である「近藤照子姫20年祭」を奉仕しました。
 祖母は明治33(1900)年、三重県宇治山田(伊勢市)生まれ。名前の照子は、伊勢にちなんで「天照皇大神」の一文字をもらったこと、祖母の母は明治元年生まれで、岡山藩士に仕える家庭に生まれ育ち、幼少の頃に金光教祖のもとへ参拝していたこと、祖母の信心の始まりがここにあったとよく話してくれました。

 曾祖父は官吏の身で、その後伊賀上野へ阿山郡長として転居。ほどなくして、転居先の近所にあった上野教会へ参拝するようになります。そして縁あって、上野教会初代教会長の五男照道と結婚。照道は各地の中学校で教鞭を取り、その後難波教会へ修行に入り、そして昭和3年、小阪教会を設立します。

 照道(祖父)は小阪教会開設後も難波の二代親先生に一筋につくし、日頃の教会は祖母が守っていました。授かった6人の子どものうち、4人が夭折する不幸や、戦災に見舞われる中、私の父(小阪先代)と叔母(上野3代夫人)を育て、苦労の中、小阪の礎を夫婦で築きました。
晩年に生まれた孫の私を、兄や姉とともにとてもかわいがってくれ、小さい頃はよく天王寺動物園や伊賀上野の忍者屋敷、ある時は日光まで連れて行ってもらったことを覚えています。

 昭和57年、上野教会の手続きであった名張教会が、都市計画等で移転新築となりました。しかし、教会で常時御用する教師が長年不在。にもかかわらず、この頃の名張市は日本有数の人口急増地域であり、教会を教師不在のまま放置することはできないということから、当時82才になっていた祖母が、昭和58年2月から単身で名張で御用することになります。生来淋しがりの祖母を心配した私の両親が、当時高校生であった私を、一緒に名張へ出向かせました。その頃、何年か先に私が名張教会で御用することになろうとは、夢にも思っていませんでした。

 祖母は約2年間、名張で御用しましたが、その間に参拝者もぼちぼち増え始め、名張教会再興の礎も築いてくれました。
平成4年、私が結婚式をあげた翌月頃から床に就き、入院。約1年後の平成5年7月28日に92才でお国替えさせていただきました。
祖母の霊徳をしっかりといただきつつ、名張教会がますます人の助かる場として発展していくこと、その御用に使っていただけるように、心から願っております。

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